日記

2008年06月08日
 簿記2級試験は、今日1:30から2時間で実施されました。1問目の仕分けですでに歯が立たない。時間が容赦なく過ぎ去っていきます。この1問目ですでに30分が経過し、2問目の「宮崎商店」、3問目の「満期保有目的債権」、5問目の仕損がある場合の先入先出法など、得点問題を落としてしまったような気がします。
 簿記2級は、すでに3回目の受験になり、何としても今回できりにしたかったのですが無理なようです。今日からまた11月へ向けて勉強を再開です。いや、継続です。
2008年05月26日
 朝、起きると左腕に刺青がありました。背中にも一面にいっぱいです。寝ているとき、やけに体が痛いと思ったら刺青をいれられたんだ。しかし、ちょっと手抜きの絵だ。
 しょうがないなあ。
 これから、日帰り温泉に行くことができなくなるし、会社も辞めなければならない。ちょっと青ざめたけど、なんとか刺青の世界でも生きていけそうな気楽な感じで意識が薄れていきました。
2008年04月26日
  plalaを光フレッツで接続しているが、お気に入りが段々接続できなくなり、ついには、インターネットに接続することも不可能になってしまった。と相談を持ちかけられ、
 plalaの「ネットバリアベーシック」契約について。
 IEインターネットオプションのカスタマイズ。
 回線終端装置の電源ON/OFF。
などの対応を日々要求してきました。しかし、いずれもスカ。ほかに打つ手はあるのだろうか、と今日、現物のパソコンを見に行きました。
 電源を入れてから使えるようになるまで時間がかかり、それから接続ツールでインターネットへ接続するのにこれまた時間がかかるとのこと。
 さっそくタスクマネージャでパフォーマンスを見るとCPUが100%。何が動いているか。プロセスを除くとIMAPP.EXEが常時上位にいました。何だこれは、Cドライブを検索したらノートンファイアウォールらしい。すぐに、プロセスの終了をを実行。一気にCPU使用率は10分の1以下になりました。
 結局、plalaがインターネットに接続できないのは、期限切れのノートン・ファイアウォールが原因でした。
 常時接続の光フレッツが、毎回パソコンを起動するたびに接続ツールで接続しなければならない面倒くささの問題点もあり、
http://www.ntt-west.co.jp/flets/setsuzoku_tool/index.html
からダウンロードしてバージョンアップを図れば解決するらしいので休み明けに挑戦です。
2008年03月05日
 中日新聞社から、先日24日に開催された、浜松シティマラソンの写真を引き伸ばして配達していただきました。
 大きく引き伸ばすとまったく足が上がっていなくて、マラソンというには不自然な動作格好をしているのがよく分かります。走っているというより、競歩です。「おい!おい!そんなに大変そうな顔するなよ」と自分に言い、まだ、トレーニングに努力が足りないのだと言い聞かせ反省しました。
2008年01月06日
 やっぱり参加してよかった。昨日は面倒くさくなっていたものの、いざ行ってみると、雲ひとつない晴天で風もなく最高のマラソン日和になりました。
 第6回いちのみやタワーパークマラソンは、1.5キロ、3キロ、5キロ、10キロ全部で6250人の参加を得たと開会式で言っていました。
 気が付いたことは、いちのみや駅から会場までのシャトルバスが無料です。しかし肝心の走路は、長良川堤防が未舗装で、公園に入ると自転車道になり、追い越す際は芝の上をはしらなければならず体力を消耗しました。抽選会では欲しい賞品の抽籤箱にハガキを投函することになっています。また早い時間に抽籤してしまうので遠距離参加者は助かります。参加賞はTシャツ、帽子、タオルなど選択できるし、来年のTシャツデザインも投票することになっていました。
 帰りの電車は熱田−金山間人身事故による遅れで、名鉄への代替が行われるというアクシデントがありました。しかし、名古屋から先へ行けなければ急ぐ意味がないので、読書しながらゆっくり待つことにしました。結局のところ、動き出してから到着までの車内3時間に読み進めたページは5ページだけで、気持ちいい居眠り時間となりました。
 浜松シティマラソンが終わってから簿記試験などというのは、ムリ!ムダ!
2008年01月05日
 明日は「いちのみやタワーパークマラソン」。最近は歳のせいか10kmでも行くのがおっくうになってきています。しかし取りやめると後悔するのは目に見えているので、途中で引き返すことになってもまずは出かけることにします。
 たぶん一人満足の世界に浸るだろうと思います。
2007年11月27日
 昼過ぎからコタツの電気が入らなくなりました。いくらスイッチを操作しても暖かくならないと母が言うのです。ウェーである。今週土日は山へ行く予定にしているからです。何とかしなければと、コタツの下にもぐりこむ。ヒーターは指先で簡単に取り外せるネジ留めになっています。これは取替えを想定したつくりだと感じました。しかし実際どこがどうなって発熱しないのか取り外して分解してみたくなりました。構造はいたって簡単で電気部品は発熱部品とモーターファンと抵抗らしきものが一つづつあるだけです。それから、スライドスイッチと一体になったコードのヒーター側プラグに、小さなコンデンサが一つ付いていました。
 温度調節するスライドスイッチは基盤があり複雑そうです。
 コードの断線はなかったので、故障原因はコンデンサか抵抗のようなものに違いないと思ったが、自分の能力ではここまで。すでに0時を過ぎたので、翌朝コタツのヒーターだけの販売があるかインターネットで検索することにしました。
 出勤前にインターネットで検索すると、いつものamazonにありました。取り付けの大きさはピッタシ、消費電力も500Wとほぼ同じ、あとは温度調節が手元でできるタイプであれば問題なし。価格差は温度調節コントローラがあるかないかと臭い脱臭があるかないかのようです。できるだけ価格の安いものと探しましたが、それほど種類が多くないので、選択肢は限られました。ということで出勤時間も迫るし結局KOIZUMIの6千円のものを注文しました。
2007年10月16日
 濃い緑色をした30cm以上あるどうまんガニが襲ってくるので逃げる。するとまたそこにどうまんガニが現われる。逃げる。また現われる。ハサミにはさまれたら大変だから、左右それぞれのハサミが開かないようにつかむ。力比べをしているような格好です。
 からだが熱い。
 目が覚めた。夢だった。時計を見るとまだ11時半。寝てから30分しか経っていなかった。
2007年10月11日
 好日山荘で11,550円のウォーキングシューズを買ったら、2,000円分の金券が出ました。これで前回分とあわせて4,000円になります。
 金券は1年間有効になっています。レシートに印字されているため、日にあてないよう気をつけていたのですが、前回分の金券の印字文字はかなり薄いです。というより薄くなってきたということだと思います。前回分は5月なので約5ヶ月が過ぎました。
 1年が過ぎると金券の文字は消える?
2007年10月08日
 「鏡の法則」を読んでまた涙が出てしまいました。これは泣けますよ、と言われるとそれが暗示のようになります。
 前回読んだときにどうしても理解できなかったことが、息子の優太が、母親の気持ちの切り替えでいじめられなくなったことでした。
 実はもともと大していじめられていたわけでもないのに、優太のマイナス面ばかり見ていた栄子自信に問題があった。それがプラス面を見ることができるようになったことで、優太を信頼し優太の心も開き真実が見えるようになった。
 と今回は勝手に理解しました。
2007年10月03日
 軒下の塗料が剥がれてぼろぼろになっていました。訪問してきた業者の見積もりが約15万でした。ところが近所の何でも屋さんは1万3千円で塗りなおしをしてくれました。工賃は9千円となっていたので、業者の工賃は14万1千円となります。
 材料費と工賃を人工で換算すればおおよその金額が計算できます。工事にどのくらいの時間がかかるのかとか、技術力、危険性、どんな機械を使うのか、また材料に特殊性があるのかなど、諸々のことを考えるとむつかしけれど常識的な金額を把握が必要と実感しました。
2007年06月26日
 右のふくらはぎにこむら返りが起こりました。寝ていて気をつけながら伸びをしたところ、あのこむら返りが起こる前兆を感じ、すぐさまふくらはぎを摩ったのですが、効果なく激痛になりました。
 自分の意識とは無関係に筋肉が勝手に強く萎縮し、痛みだけ返してよこす本当に勝手な症状だと思いました。
2007年04月18日
 出勤途中、赤信号で止まっていた際、後ろから来た車が右折路線を使って追い抜いて行きました。信号機が青になり、前方で赤信号のため止まっていたさっきの車に追いつくと、ナンバーは「893」でした。
 昨夜の長崎市長銃撃事件を思い出し、不吉な予感におそわれました。
                    「くわばらくわばら」
2007年03月18日
 社内駅伝大会があります。5人1チームで構成し、1区間2キロの皆同じコースを走ります。アンカーをおおせつかったので、何分で走りきれるかテストしてみたら、8分57秒でした。
 走っているときは速く感じたのに時計を見て大変がっかりでした。(;_;)
2007年03月03日
 3月に入り初めてのジョギング。寒くなく、風もなく、休みなので20キロ以上を目標に軽快な走りでスタートしました。薄雲が少し出たりして「春陽の候」です。
 ところが10キロを超え、折り返してからまたいつもの膝の痛みが出てきました。
 これを我慢して走るとますます痛みが強くなるばかりです。もう走れないと我慢の糸が切れ、立ち止まって膝回しと屈伸をしました。
 しかし運悪く、細い道に両側から車が来たので、まだ痛いのを我慢して走り始めました。
 意外と走れるもので結局スタート地点まで走りきり、あのときの膝痛がなんともなくなっているという信じられない結果でした。
 一度立ち止まってから、再度走り始めたときはまだ膝の痛みは回復しておらず、無意識にかかと着地になっていたことに気付いたのです。かかと着地だと膝への衝撃がないのです。と思う。
 したがって今度は意識してかかと着地になるようにしたら走りきれてしまったという訳です。
 最近は「フラット走行」「フラット着地」が脚光を浴びているので、自分なりに取り組んでみたりしていたのが膝痛を長引かせた原因のようです。ただし本当の原因はフラット走行より以前からなので?マークです。
 これで膝痛ともおさらばか!
2007年02月09日
 走るというのは身体を前傾していくと自然と足が一歩前に出る。これの繰り返しだというけれど、前傾するのは骨盤で身体を前傾させちゃいけないともいいます。
 今思うのは、骨盤を意識して少し前傾し、引きを速く力みのない腕振りをして、なおかつ頭を上に引かれる感じになることです。
 東京マラソンまであと9日、最後まで走りきりたい。後退してしまった自分の未来への可能性をいままでのトレーニングで前進できたという汗の味がする実を結実させたい気持ちでいっぱいです。
 ランシャツ、ランパンまたはタイツなどのウェアから手袋、寒さ対策、雨対策、いろいろ考えなければならないことがたくさんあります。
 明日は大体のところを準備しようと思います。
2007年01月17日
 帰宅したら風呂が沸かしてありました。
 母が「風呂が沸いてる、入ってこないら?」と言ったので、ちょっと考えて「入ってきた」と答えました。
 「入ってこないよ」と言っても、嘘が下手なのですぐにばれそうだからです。
 しかしせっかく沸かしてあるので、また風呂に入ることにしました。
 湯に浸かりながら「入ってこないよ」とばれてもいいから言えばよかったと悔やみました。
2006年12月05日
 朝全体の連絡会は「おはようございます」で始まりますが、人が変わるたびに「おはようございます」の挨拶があり、個別の連絡会でまた「おはようございます」の挨拶があります。挨拶は大事ですが少しくどいような気がします。
 帰りも「お先に」と言っておいて、出口でまた「お先ー」と言っています。帰るのが名残惜しいのかと思えます。帰るようなことを言っておきながらぐずぐずしていると、さっさと帰ればいいのにと思います。
2006年11月08日
 能力のある社員は、難しい仕事をなんでもないようにこなします。
 能力のない社員は、なんでもない仕事を残業までして四苦八苦します。
 能力のある社員は、上司がすることに愚かさを感じることがあります。
 能力のない社員は、上司の力にすがりたい気持ちが多分にあります。
 つまり能力のある社員は、仕事をしてないように見られ、上司に対し反発心が起きます。しかし、能力のない社員は仕事を一生懸命やっていて、上司に従順だからかわいく見えます。
 実際はこんな単純な判断や見方をされることはありませんが、たとえば仕事量が同じものを短時間でこなす社員と長時間かける社員がいるとします。
 短時間でこなす社員は定時間内で終えますが、長時間かける社員は残業をすることになります。
 こなす仕事量が同じでも、長時間かける社員は残業代を稼げる分得になり、不合理ではないかと思うのです。
 仕事を短時間でこなす社員は、「すごい、すごい」と煽てられるだけで、給与に反映するのは、長時間かけた人の残業代です。
2006年11月07日
 終業後、ニューバランスの買ったばかりのシューズを履いて走ってみました。
 実にいい。へたばらないクッション性、路面に吸い付くけれど負担にならないグリップ。履き古したシューズとは、こんなにも違うものかと驚きました。いつもなら少し頑張ると痛くなる膝が痛くならないのです。
 足の故障は、意外とシューズによるものがあるものだと感じました。
2006年10月05日
 東京マラソン当選の通知
 うれしーい!
 もう すぐに参加料の支払いをしました。
 定員を大幅に超える応募があったということですが、どのくらいの応募があったのか気になります。
 とにかく、うれしーい!
2006年09月01日
 防災の日で避難訓練でした。「業務に支障のない方は全員出てください」というのは差しさわりが無くていいのですが、それによっていつも出ない部署があります。
 人命にかかわる業務でなく、20分もかからない避難訓練に出られないほど重要な仕事をしているわけでもありません。
 ようく考えれば毎日夜勤をしているから、災害時はどうするのかしっかり行動基準を決め避難訓練をして、作業者は自分の安全を自分で守るために自ら行動できるようにしておかなければならないと思います。
 要するに9月1日は防災の日だから、会社は形式的にも訓練をした事実を作っておきたいだけなんだ、と思えます。
 中間管理者や作業者も参加することに意義を見出していないし、今年も昨年と同様に行動基準が何も示されておりません。
 窓や扉は開けておくのか閉めておくのか、パソコンの電源は切るのか、サーバーやホストコンピュータの電源は切るのか切らないのか、それとも身の安全を確保しながら作業を継続するのかなどです。
 作業内容や作業箇所によってそれぞれ行動内容が違うのだから、その基準をそれぞれ文書に表し、社員に周知すべきであります。
 福知山線列車脱線事故でJR西日本の社員が的確な行動ができなかった事実があります。災害は自然災害ばかりではありません。火災と地震では対応が違います。自分の命が助かっただけではダメな場合もあります。
 本当は、毎回避難訓練に出られないような部署ほど災害に対して弱い部分であるため、このような訓練を通して弱点を洗い出しておいた方がいいのにとも思います。
2006年08月15日
 この暑いさなか、ホソバの刈り込みをしました。回り近所を見渡すと、家(うち)の垣根のホソバが一番伸びていて気になっていました。
 この作業は刈り込みより片付けの方が実は大変です。植木屋さんに頼むと数万円はかかるでしょう。それで片付けてくれない場合もあります。
 とにかく、これでしばらく安心できます。
2006年08月14日
 12日から3日間白山登山でした。行きの高速道路で渋滞し、現地到着まで8時間30分。名古屋と郡上八幡で渋滞しました。
 12日にキャンプ場まで行くつもりが車内泊となり半日のずれこみ。
 それでも天気が良かったので最高の山行となりました。
2006年08月07日
 社内健康診断の問診で、私は中性脂肪が少ないから多くしたいがという話をしてみましたが、現代ではうらやましい状態ですね現状を維持してくださいと、まじめに取り合ってくれませんでした。
 私は以前から、中性脂肪が少ないことによるスタミナ切れを感じていたので深刻に考えています。
 中性脂肪100を目指して。
 糖尿病にならないように甘いものを間食することでどうだろう。
2006年07月28日
 今年の富士登山競争は五合目で強制リタイアさせられてしまった。10秒早く到着できればクリアできました。5秒早く到着できればクリアできていたかもしれません。いやもっと微妙な時間で打ち切られていたようなきもします。
 スタート時点で1分30秒のハンデがあったので、ネットタイムで計測してすれば完全にOKでした。
 また制限時間が10分短縮されていたことを知らなかったのは自分のミスでした。
 ランナーズもそういうことはしっかり掲載してほしいなあ。
2006年07月16日
 赤い車に乗った中学生くらいの女の子、運転している(たぶん)おじいちゃん。ジョギングしていたら笑い顔で私を見ながら追い越して行きました。しばらくすると今度は前から来て、女子は携帯カメラで私を撮っているようです。またしばらくすると私を追い越し、女の子が後部座席から手を振っていました。
 私も手を振ってやりました。
2006年07月06日
 今月末に「富士登山競争」を控え、7月に入ってジョギングできる時間が取れなくなってしまいました。昨年のレース後の講評の中で、不十分なトレーニングで完走できるほど富士山は甘くないと言っていたことが重くのしかかってきます。
 一度でいいから完走したい。歳を重ねるごとに困難になるので、あせりがあります。
2006年06月22日
 昨晩から徹夜の夜警でした。一周1時間を4回だから、大してきつい仕事でもないのですが、たまの夜勤は疲労感が大きかったです。
 夜警後は出勤者の入出門証のチェックです。
 「おはよーッス」を繰り返していると、めまいがしてきました。「おはよーッス」の繰り返しで空気を吐き出すほうが多く酸欠状態になったんだと思い、意識的に深呼吸をしてみました。深呼吸をすると気分が良くなるので当りでした。
 寝不足での門の立会いはきつい!
2006年05月28日
 今日は「茶臼山高原走ろう会」です。濃霧と小雨ながら、今の時季、走るにはこのような天気のほうが気持ちがいいです。
 交通事故で一気に落ちたタイムが、年々徐々に上向いてきました。トレーニングが苦痛に思うことが多くなってきたのですが、それをおして頑張れれば結果が出てくることが分かりました。
 「茶臼山高原走ろう会」を走り終えて自分自身に大変満足しました。気持ちいい疲労のなかで充実感が続いていました。
2006年05月25日
 小さな傷が付いたMPVのフロントガラスは元に戻りませんでした。
 溶剤を注入して直すと言っていたので、注入したあと研磨してきれいに直るのだろうと勝手に想像していました。
 実際はヒビの隙間に溶剤が充填されヒビが分からなくなるようにするだけで、欠け落ちた部分はそのままになっているため、爪でこするとカリカリ引っかかります。
 ゴマ粒より小さな傷だからいいのですが、12000円の修理代の割りに簡単な手当てでありました。
2006年05月24日
 江戸川乱歩賞の「13階段」、この推理小説の死刑執行描写は超衝撃的です。自分を死刑になる身に置いたり、執行するものとして縄を首にかける状況の自分の心理を推し量ったりとしながら夢中で読んでいます。
 子供を殺すような犯罪者に読ましてやりたい。
2006年05月19日
 「国家の品格」を読んで、戦争は民主主義が起こすというから怖くなりました。
 現代はマスコミが発達しました。マスコミの意見は正しいものと深慮せず鵜呑みにする私は、自分の座標軸を持っていません。
 マスコミからの知識で、借り物の意見を自分の意見としてえらそうなことをことを話している自分に気付くことが、以前はありました。
 マスコミは出来事の表面的なことしか報道しないから、隠れた部分も見通せる知識をつけ、座標軸を持たなければならないと感じました。
2006年04月24日
 今日は一日中、土曜日の檜洞丸で太ももが悲鳴を上げていました。何ヶ月も登山してないという訳でもないのに何でだろうと思います。
 「ヒノキボラマル」をすぐ「ホラキボラ」と発音してしまいます。どうも自分の意識のなかで「ホラ」が強調されてしまうようです。
 私の足に苦痛を与えたバツとして「ホラキボラマル」にしちゃえ。
2006年03月28日
 数日前に届いてセットしてあったOCNシアターを見ました。DVDは有料が多く105円〜4000円、カラオケは1ヶ月800円、ヘッドライン・ニュースや天気予報があります。そのほかもありますが、地図はインターネットのほうがよく、無料ゲームはオセロと将棋の2つだけです。
 3ヶ月過ぎたら止めようかなあと考えています。
 話は変わりまりますが、農協から利子差し引きの通知がきました。普通預金の残高が4万円以上マイナスになっていました。
 調べてみると農協の定期積金からの引き去りが原因でした。それで「借金してまで預金するバカがいるか」と怒れてきました。
 電気、ガス代などの引き去りでは預金残高がなければその旨の通知が来るのに、自行内の処理は好き勝手です。
2006年03月27日
 オークションで指輪を1円、ネックレスを12円で落札しました。それも2個づつ。
 安いのはいいのですが、同梱しないことが謳われておりました。送料が1700円、これに代引き手数料350円が加わると 1050円 × 4個 = 4200円 になってしまいました。
 1円にだまされて、とんだ落とし穴にはまってしまったという感じです。
2006年03月26日
 PSPを使ってフレッツスポットからインターネットへの接続をしました。数回検索していると「メモリの容量が少なくなりました」となり、動かなくなってしまいました。PSPのバグかと思って家に帰ってからインターネットで検索したがそれらしいものが見当たらない。
 PSPの画面は小さいのでインターネットで表示さえる画面は右にスクロールしないと全部見られない。 それから、パソコンの画面と比べるとPSPの画面は小さいので、文字もすごく小さい。しかしそれでも読めるから驚きであります。
 結局この日は現在表示中のサイトから外に出られなく、他のサイトに行けませんでした。新しいURLを打ち込む必要があると思いました。
2006年03月25日
 砂を詰めた2リットルのペットボトルを2本、水が入った2リットルのペットボトルを1本、合計3本をザックに詰めると10キログラムになります。
 これを背負って秋葉山を走って登った。実のところ歩いたところのほうが多かったのですが。往復約8キロメートルあり2時間かかりました。
2006年02月18日
 三重県の入道ヶ岳登山の帰りに椿大神社(つばきおおかみやしろ)で御朱印長に御朱印をいただきました。
 御朱印帳は全国一の宮となっており、かなりなボリュームです。
 全部集めたい衝動に駆られます。
2006年02月11日
 コンピュータの世界で二重系といえば、デュアルとかデュプレックス・システムなどがあります。二重系とというだけで安全性がすごい高まったような気になるけれど、今回は二重系というだけで安心しきってしまうことは危険だと思いました。
 それはLANのセンタースイッチが二重系になっており、導入後まもなく1系の具合が悪くなりネットワークが接続できなることが起きました。だから2系に切り替え2系はずっと安定しています。
 二重系だからできたことで二重系にしてよかったねとなります。
 導入後まもないことなのでそのセンタースイッチ全体を今日取り替えたのですが、故障したときの修理を考えると、LANは簡単に止められないので通常は2系で運用したほうがいいとメーカーさんが言いました。
 UTPケーブルの差し込みを見るともっともです。
 しかし、取り替える前のスイッチは1系が不安定で2系が安定していたのです。今回全体を取り替え2系で運用すると、1系は大丈夫なのか、取り替える前のスイッチと同じでやっぱり1系は不安定じゃないかなと不安になります。
 二重系で照合するようなシステムならいいけれど、老朽化してくれば通常使っていないほうが先に壊れていても不思議じゃないのに、二重系ということで安心します。しかし、壊れたときには使っていないほうも既に壊れているかもしれないという危険性があります。
 照合できるシステムじゃないので、定期的に1系2系を切り替えて運用すべきかと思いました。
2006年02月10日
 完全に忘れていました。今日は歯医者の予約をしてあったのを。
 昨日も今日もずっと気にも留めなかったのを、今、寝るときになって突然思い出してしまいました。
2006年01月01日
 ランニングの要点
@腰を前傾させる
A片足ごとに体重が乗るようにする
B肘は脇より前に出さず後ろへ振る
C腕振りは回転運動
D鼻から息を吸う
走った充実感と裏腹にタイムはそれほど縮まりませんでした。
2005年12月31日
 師走も目標の月間100km以上を達成できました。
 今年は富士登山競争完走に弾みがつきそうです。
2005年12月23日
 昨日は飲み過ぎて、泊まってしまいました。飲んでいたときのことが途中までしか思い出せない。
 最初は熱燗でしたがすぐに冷(ひや)にしたため、酔いが突然まわってきたのでした。
 ここ数年このようなことはなかったことです。
2005年12月19日
 朝食前にするジョギングは、途中でいつもトイレに行きたくなります。朝食が終わってから大便をしたくなることはないので、胃に食べ物が入ることでスイッチが切り替わるようです。
 朝食前にジョギングをするためには、トイレに行きたくなるからという心配をしなくてすむような対策を考えなければなりません。
2005年12月17日
 越前岳の登山をしました。
 名前を聞くと福井県の山で2000m以上ありそうな感じがします。ところが1504mしかなく愛鷹山一帯の中で一番標高の高い山です。
 雪があり山頂は冷たい風が吹いていました。
2005年11月26日
 明神山を登山しました。
 天気予報は晴天だったとおもいますが、靄が多い1日で山頂からの展望がいまひとつさえないものでした。
2005年11月23日
 三重県の鎌ヶ岳を登ったのですが、山頂付近はロープやクサリが垂れ下がり、思っていたことと違ってかなり急になっており、意外に感じました。
 山頂は広く好天だったので寒くなく大勢の登山者で賑わっていました。
 鎌ヶ岳へは鈴鹿スカイライン沿いの登山道もあり、ここは情緒がないので他の登山道を選ぶべきです。今回はこの情緒のない登山道を歩きました。
2005年11月22日
 自民党が立党50年ということです。昭和30年は私の生まれた年であり、何となく親しみが持てるのですが、そういうことで自民党に組することは無いと思います。
 憲法改正論議の中で自衛隊が軍になると、軍としての制度、体制に変わることになり、徴兵制という議論も出てくるでしょう。
 「近頃の若者は軍隊に入れて少し鍛えてやったほうがいい」と言う年寄りもあり、若者の事件や交通事故のニュースが放送されるたびに徴兵制復活の声が聞こえてくるかもしれません。
2005年11月12日
 一日ほとんどがパソコンの回復に費やされてしまいました。そのうえまだ完全に回復していないという非常になさけない状態です。
 どのソフトであってもインストール時間は意外と長くかかるもので、OSなどは30分以上かかり、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
 何でいまどきISDNなのか、あまり関係ないけど止めて欲しいと思います。
2005年10月30日
 風もなく晴天でした。中央アルプスの摺古木山登山は最高の天気に恵まれました。しかし、あまりに良い天気だったので朝もっと早く出て安平路山まで足を延ばせばよかったと思いました。
2005年10月15日
 横浜中華街でお食事会でした。
 メニューの種類が多く30種類ぐらいあったような気がします。シューマイ、すぶた、車えびのからに、牛バラ丼、豚バラそば、チャーハンと色々味見しました。どれも美味しかったけれど、ビールで満腹になってしまいました。
 11時40分開店なのですが30分前くらいから少しずつ行列の人数が増え開店までに20人くらいになったと思います。
 1人で行ったんじゃ単品で終わってしまいます。4〜5人で行って色々な種類を味わうのがいいです。
 ビール以外は追加注文ができないようです。一度に注文しても一品づつ間隔を開けて出てきます。シューマイはお土産があります。小さくて古いお店です。
 お店の名前は「海員閣」です。
2005年10月09日
 やったー!当り 
 町内の祭りでフットマッサージ器が当りました。
 くじ引きや抽籤で当ると一気に運が向いてきたような気になり嬉しくなります。
 宝くじも高額賞金が当るかもしれないと思っちゃいます。
2005年10月02日
 一ヶ月に100kmが走れなくなって何ヶ月、何年にもなります。たまに100km以上走った月もありましたが、休みが多かったり、体長が良かったときなどです。
 走力を維持するのに月間100kmのトレーニングは最低限必要です。
 今月は頑張るぞー。
 走力といってもレベルごとにいろいろあるので、これは私の場合ということでご理解を?
2005年09月21日
 先日、徹夜明けで帰ってビデオに録画しておいた、あさひテレビのドスペ、「北アルプス山岳警備隊」を見たらもう感動してしまって涙が出て止まらなかったことがありました。しかし今日は意外と冷静に見ることができました。
 たまに徹夜などしたので、情緒不安定になっていたのでした。
 番組は富山県警山岳警備隊の訓練を新人の小形くんをとおして紹介し、ラグビーで鍛えた小形くんに、限界を超える訓練を味わわせて、救助活動に限界は無いのだということを教えていたのは強烈でした。
 救助する側がもう限界だと思ってしまったら遭難者は助からない。頭では誰でもわかっていることでも実際の場面でそのように行動できるかです。
 80キロの人を背負って山道を歩くなんて、プロレスラーでも難しいことじゃないかと思います。
 それから岩に付いた生々しい血痕を映し出し、危険な個所での過酷な救助活動を見せてくれました。
 また心配する家族の淡々としているように見えるなかでも、心理的には本当に焦燥し切っている感じが見て取れました。
 最後に雪山で遭難したパーティが生還し、警備隊長にお礼を言う場面で、警備隊長が家族に「二度と山に行くなというようなことは言わないで欲しい」と言っていたことが印象的でした。
2005年09月11日
 細葉の刈り込みで疲労困憊であります。
 11時から始めて13時半まで約2時間半と短時間でありながら、5時間ぐらいの労働をしたように思います。
 刈り込みだけならまだしも、片付けまですると本当に疲れます。
 ホソバの生垣は遠州地方だけなのか他所ではあまり見られないようです。
 生垣は見栄えが良い分管理が大変で、体力的に難しくなってきた今はもう、アルミフェンスに変えたいと考えるようになりました。
2005年09月09日
 視力が日に日に悪くなっていきます。
 遠くは見えるけれど近くが非常に見づらくなって、まさに老眼だろうと思うのですが極端な進行度です。
2005年09月06日
 第1回国勢調査が大正9年に始まり5年毎に実施されています。
 今日は国勢調査の説明会でした。夕方7時から始まって9時15分までかかりました。
 国勢調査は日本の将来のため、いかに正確な情報を集めるか、そして正確な数値をだすかだろうと思います。
 このような調査はアメリカだけでなく中国、韓国など各国で行われています。
 せっかくだから、調査内容が日本にとってより住みやすい国になるデータなればいい。
2005年08月29日
ヤマダ電気の無料ポイントサービスが面白い。
会員になるとゲームに4回参加できます。
1日1回までだから4日かかります。
ゲームはスロットで最高4000ポイントが当ります。
空クジなしで最低でも100ポイント。しかしほとんど100ポイントしか当りません。
1000円以上買うとまた新たに4回できます。
1000円以下の買い物でもスロットができるようになるとか、店を変えると4回以上スロットができるとかいう話もあり、何かとお得です。
2005年08月28日
 「エッ何、六合」「帰れない?」「何だ!メガネが無い」「まいったなあ、どうしよう」
 とにかく電車を降りました。それから見えにくいのを我慢して時刻表を見ると浜松行きがありました。何とか帰れる目途がたち、メガネは諦めていました。
 昨夜のことです。
 酒を飲んでから電車に乗るときは、座席に座らないことが寝過ごし防止策だと分かっていたのに久しぶりの飲み会で気が緩んでいました。
 メガネは誰かにいたずらされたのか、自分で外したのか分かりません。もう少し冷静になって座席や車内を探してみればよかったと思う反面、のんびりしていたら帰れなかったことも確かです。
 レンズのコーティングが剥がれ、傷だらけのようになってそろそろ変え時も近づいていたからちょうどいい機会でもあったのですが、突然無くなるのは不便この上ないことです。
 というわけで今日はメガネを買いました。
 「今日は何の日」「赤口だよ」「まぁっ、赤口ならいいね」。
 とにかく5万円を散財した気分は否めません。
2005年08月26日
 「今日は何の日」「仏滅だよ」。
 静岡まで山伏に忘れてきたデジカメを貰いに行ってきました。わざわざ静岡までデジカメを貰いに行くだけじゃもったいないと、梅ヶ島「黄金の湯」へも行く計画で出発しました。
 静岡市に到着し地図を探すと、無い。一番町、一番町と感を頼りに探し回りました。
 カーナビは市町村合併で役に立ちません。市町村合併で町名が変わっているかもしれないと思うとあてになりません。またやっぱりカーナビでは一番町が見つかりませんでした。
 静岡に到着してから最初に尋ねた人にぜんぜん方角が違うよ、戻って向こうへ行ってからまた聞きなと言われ、で次に聞いたときは二つ向こうの信号機を左に曲がり、二つ目の信号機のあたりが一番町です。ということで一番町は意外と早く見つかりました。
 ところがこの後が大変で、実は相手の電話番号を書いた紙も忘れていたのでした。相手の家のあるところのおおよその感はつかめているので見つかるだろうと思っていたのですが、グルグル同じところを何回も走り、1時間がたっても見つかりません。
 しばらく我慢していたトイレが、我慢できなくなって今度はトイレ探しです。街中は車を駐車できるところがなく、食堂も駐車場がないところがほとんどです。緊急事態になってきたとき、ガストに駐車場があったのでそこに入ることにしました。車を降りて歩くのも大変な状態でしたが、トイレを済ますとすっきりしました。もともとお腹が空いているわけでもないし、混んでいるから食事は中止してしまいました。
 ガストさんトイレだけ借りてごめんなさい。へへへ。
 また、家探しに一番町に戻りました。
 町内の人に聞いたら、親切にも町内名簿で調べてくれてそう人はいませんねえということでした。
 交番で聞くのがいい。と交番を探すとこれがまたなかなか見つからない。
 そうだ電話ボックスにある電話帳で探せばいい。と今度は電話ボックスを探しました。これはなかなかいい案でした。見つかった町名は二番町でした。一番町をいくら探しても見つからないわけです。一と二を聞き間違えるなんてどうかしています。発音がぜんぜん違います。
 電話番号がわかったので電話してようやっと家がわかり、デジカメを受け取ることができました。
 家探しだけで2時間を費やしました。電話番号を書いた紙を忘れたことが一番大きな失敗でした。また電話ボックスの電話帳を早く調べればよかったし、もし載っていなかったらデジカメは受け取れずに帰ることになっていました。
 やっぱり今日は仏滅でした。
2005年08月18日
 先日山伏(やんぶし)無くしたデジカメが出てきました。静岡に住むUさんが私たちが行った翌日の朝、登山口の駐車場で見つけたのです。
 撮影した写真の中からカメラのあった場所で車を特定し、ディーラに照会して私を探し出したそうです。
 普通ならデジカメ儲けちゃってとか、落とし主を探すのを面倒くさがってそのままにしておきやすいのですが、Uさんは手間をかけて私を探し出してくれたのです。
 「カメラより写した写真が欲しいだろうと電話しました」。とまったくそのとおりで、カメラを無くしてから一週間ぐらい家のどこかにあるのじゃないかと、同じ場所でも何回も探しました。記憶があやふやで困ります。
 とりあえず、忘れてきたことがはっきりしたことですっきりしました。
2005年08月15日
 太ももの前面、大腿四頭筋に痛みが出てきました。
 からだ全体も疲れているような気がします。小説を読んでいても眠くて眠くて。
2005年08月14日
 赤石岳を登るため畑薙第一ダムまで車で行ったのですがえらい遠い。正確には思ったよりもを付け加えたほうがいいかもしれません。それは片道160kmの距離が遠く思えないからです。
 車のナビは浜松市から静岡市回りで口坂本温泉を通る道順を示しました。
 山中の狭い道であり、夜中であり、濃霧であり、見えるのは白線とガードレールだけということが何回もあり、その頼りの白線とガードレールがこれまた何回も途切れます。
 スピードを出せなくて遅々として進まない。目を見開いて緊張した運転が続き大変疲れました。
 帰りは川根の方角からにしようとナビを設定したら大間経由を示し、遠回りではないかという疑いを持ちましたがそのとおり走りました。県道60号です。すれ違った車なしという不人気の道でした。それからやはり遠回りでした。
 車のナビにまかせっきりにしてはいけないと感じたドライブでした。
2005年05月08日
 マスコミはJR脱線事故で運転手が乗り合わせていたのにそのまま出勤してしまったことをきっかけにJR社員の行動を問題としてボーリングをしていた、ゴルフをしていたなどということを盛んに報道しました。それもトップニュースです。
 ニュースがワイドショーになりつつあり、ニュースの内容より報道姿勢に憤りを感じている人達が意外と多くいることに驚きました。
 視聴率稼ぎはNHKも同じです。報道のためなら何を言ってもいいという態度は視聴者の反感をかっていました。
2005年05月05日
 今日参加した豊田長藤マラソン大会は磐田市と合併しても継続するようです。
 近場で当日受付もあり、気楽に参加できる大会として嬉しいことです。
 練習不足でしたが、いつもより頑張って一昨年のタイムを何とか維持できました。
 閉会式のメロンとイチゴの抽籤会で、はずれてしまったのは残念でした。
2005年05月03日
 リニモ万博八草駅で一階のフロアーがいっぱいになったのは初めてです。
 万博会場へ到着し、北ゲートをくぐるまでは昨日より少し多くなったかなという感じでした。ところがゲートをくぐって中へ入ると企業館は、すでに長蛇の列ができていました。
 企業パビリオンはまだ半分しかみていないので、今後の人出動向から観覧が難しくなりそうです。
2005年05月02日
 愛知万博は昨日より入場者数が増しているようです。しかし待ち時間0分で三菱未来館に入れたのでよかった。
 最後のシアターでは2回も飛び上がりそうになりました。
2005年05月01日
 愛知万博の北ゲートに着いたのが8時45分、9時から入場チェックが始まって入場できたのが9時25分でした。トータル40分の待ち時間でした。
 前回の入場で腕時計は金属探知機を通過できると聞いていたので、あえて外さなかったらひっかかりました。金属類はすべて外しておくべきです。
 企業パビリオンはすべて攻略しておきたいので、入場して今回は「ワンダーホイール展・覧・車」。10分ほどで入れました。しかし一人だったので相席となりました。
 観覧車は屋内にいるあいだは映像で、屋外へ出ると普通の観覧車になります。
 もうひとつ「三菱未来館」にも入ろうと考えていましたが、遠目で見てすでに長い行列ができていたので諦め、グローバルコモン3(ヨーロッパ)へ急ぐことにしました。
 しかしドイツ館も長い行列で諦めです。イタリア館、クロアチア館、ギリシャ、モロッコ、ヨルダンとまわり、このなかでクロアチアの映像がなかなか面白く、空飛ぶグラスボートのようでした。
 グローバルコモン5(アフリカ)のパビリオンから外へ出ると雨が降り始めていたので帰ることにしました。
2005年04月30日
 茹でたタケノコをわさび醤油で食べて美味しかったという記憶があって食べてみたら、渋みがあってガッカリしました。
 口の中の粘膜がなくなるので、胃の中へ入ると胃の中の粘膜も取れてしまうのかと考えると、からだに悪いものを食べている感じです。
2005年04月19日
 朝の5:00に自宅を出発し、9:30到着の予定で高遠城址公園の花見に出かけました。
 17日が満開と発表があり、明日から天気が崩れることを考えると今日を逃したら今年の高遠桜は見られない。急遽出かけることにしました。
 天気予報では晴天だと言っていたのになんとなくすっきりと晴れない空模様で、春霞だからこんなものかと思いました。しかし治部坂峠から飯田市、駒ヶ根市手前までは霧が出ていて、飯田市では雨になるのではと思ったくらいでした。それが伊那市までくると晴れて暑くなってきました。
 春のドライブはあっちこっちで赤、白、ピンク、黄色の花が咲き、大変きれいです。
 高遠はやはりかなりの人出で、いつもの河川敷駐車場に止められなく高遠中学の校庭です。そしてそこからシャトルバスで城址公園まで行きました。
 コヒガンザクラは満開、人出はいっぱい、天気は晴天。
 寒ければ馬刺しで熱燗ワンカップと考えていたのが、陽気が良すぎてビールになってしまいました。
 実は一昨年は曇り空で風もあって大変寒く、そのとき馬刺しで飲んだワンカップのうまさが忘れられません。それで今年もと期待していたわけです。
 天気を取るかワンカップを取るかということになりますが、両方を取ることができないのが残念です。
 何はともあれ今日の陽気のようにのんびりゆっくりできた一日でした。
2005年04月17日
 浜名クォーターマラソンに出場しました。
 始めは申し込みを止めようと考えていたのですが、送られてきた申し込み用紙に「今年はクォーター賞だから参加しないのは絶対に損です」というメッセージが書かれており参加することになりました。
 昨年と会場が違っていたこと。
 自宅近くの人と偶然出会ったこと。
 スタート地点の道路幅が狭くなったこと。
 二週間前から、意図的にトレーニングをしなかったのが良かったのか、膝が痛くならなかったこと。
 ゴールでのバーコードによるタイム計測が、どうやって読み取ったのか判らなかったこと。
 いつまで待っても記録賞が出てこなかったこと。
 お茶がカルキ臭かったこと。
 クォーター賞を貰って、駅員に何の賞か尋ねられ、実力で勝ち取った賞でないので体裁が悪かったこと。などいろいろありました。
2005年04月15日
 本宮山は砥賀神社の山です。登山などしなくても本宮山スカイラインで頂上まで行けます。
 今日はウォーキングセンターの駐車場に車を置いて登山しました。私たちが登りはじめた時間はそれほど遅いと思わないけれど、すでに下山してくる人達が何人かおりました。
 ここでは1日の登山回数を競ったり、登山時間を競ったりしていて、その記録を掲示してあります。1日の最高登山回数が11回、最短登山時間が28分でした。ただし自己申告らしいです。
 整備された登山道。蛙岩、山姥の足跡、砥賀神社、赤い鳥居、パラボラアンテナ
途中に見晴らし台。階段も多くあります。
 帰りに本宮の湯に浸かってのんびりしました。
2005年04月11日
 金曜日から、BフレッツのONUが赤く点滅してインターネットに繋がらなくなってしまいました。まったく繋がらないわけでなく、繋がるときもあり不安定なのです。
 ONUの点滅ランプは「STATUS」と「FIBER」です。
 NTTに電話すると「申し訳ありません」と言って回線IDを聞かれ、向こう側でテストしたのち担当者が伺うということで、今日、復旧しました。
 3人で来て屋外のファイバーを接続し直したようです。それからその作業に意外と長い時間がかかったようでした。
2005年04月10日
 昨日、土曜日の登山で大腿四頭筋の筋肉痛が続いています。常日頃スクワットをして鍛えていても効果がないことが分かりました。
 考えてみればスクワットを100回行っても5分か10分。しかし、登山なら短くても1時間は休憩なしで登り、そのうえザックを背負っているのだからスクワットの比ではありません。
 しばらくはじっと我慢して痛みが去るのを待つしかないようです。
2005年04月09日
 今日は藤原岳の登山でした。
 天気は最高。福寿草も満開。
 久しぶりに気持ちよく疲れました。
2005年04月08日
 新入社員への社長の挨拶で、JR東日本はチームワークの前にまず個人能力の向上であるとし、JR東海はチャレンジ精神を上げ、JR西日本はルール遵守を強調していました。これは各社の現状を表現しているのかと興味深く思いました。
 この中で、新入社員にとってチャレンンジ精神が一番あいまいです。それから野放図なチャレンジ精神で仕事をされたんじゃ自他共に安全が守られるかと、心配になります。
 やっぱり新入社員には一人一人が能力向上ということで望んでもらったほうが、会社のためにも社員のためにも有益なことだと思いました。
 チャレンジ精神は能力向上ができてからでも十分です。
2005年03月27日
 自宅でDVDを見るのに車載用のプレーヤーを使っています。しかし、見るたびに機器をセットするのが面倒なので、ビデオ付きのDVDプレーヤーを買うことにしました。
 コジマのチラシにソニー製のものが18800円で出ていたのでそれを買いました。  帰りにヤマダでCDRを50枚買いました。
 そのときそれでそのまま帰ればよかったのですが、自分が買ったDVDプレーヤーはいくらになっているか、ちょっと見てみようという気になって見にいくと、なんと18200円でした。なおかつ5%のポイント付きです。
 コジマはポイントが1%だから188ポイントで、ヤマダは差額600円と910ポイントで1510円になります。家に着くまで落ち込みっぱなし。
2005年03月26日
 5kmぐらいランニングすると決まって膝が痛くなります。あまり痛いと立ち止まるのですが、歩くのにも足を引きずらなければならいほどです。そのため屈伸をして2〜3分歩いているとしだいに痛みが無くなってきます。痛くないのでゆっくり走り始めます。すると1〜2kmでまた痛くなります。だからまた屈伸をして歩き、痛くなくなったら走るということを繰り返します。
 しかし少し休むとまったく痛くなくなるのが不思議です。まったく痛くないのです。痛くないから全力疾走もできるのに、しばらく走るとまた痛くなるのです。
 私の膝はどうなっているのだろうかと思います。
2005年03月21日
 久しぶりに寸又峡温泉へ行ってきました。本川根を過ぎると道が細く、車のすれ違いができないところが多くなり大変です。しかしそのようなところを、大井川鉄道の定期バスは走っているのだから感心してしまいます。
 駐車場一番近い翠紅苑が500円で入浴でき、脱衣場には冷たいお茶のサービスもあって気に入ってます。ホテルのため、入浴ができることを知らないと少々入りにくいためか、あまり混雑しておりません。
 前回来たときは浴場が私一人で貸し切り状態でした。時間帯によっては昼食ができるし、お土産も販売しているしゆっくりできます。時間があれば夢の吊橋まで往復すれば一日遊べます。
2005年03月17日
 植物の葉の成分に脳の疲れをとる効果があるとNHKの「ためしてガッテン」で放送し、そこでポトスと各種製品化されたものが映し出されました。
 NHKだから商品をしっかり映してくれないのでわらなかったのですが、キンチョーの「クリーンフロー」部屋用がそれに該当するようです。すかさず会社の帰りに杏林堂へ行きました。しかし、たくさんある芳香剤のなかに「クリーンフロー」が見つからずガッカリ。
 脳の疲れをとる植物の成分は「青葉アルデヒド」と「青葉アルコール」です。どの植物でも存在するようです。茶葉は「青葉アルデヒド」を多く含んでいるようです。
 一般に「緑の香り」と呼ばれ臭いに効果があります。臭いが強いほうが効果があるとか、いい臭いがするから効き目があるというわけではありません。
 また、事前に嗅いでおけば脳が疲れないということでなく、脳を使う作業中もしくは疲れてから嗅ぐと効果があるようです。
 実験ではマスクにしみこませた組と何も対策しない組で単純なゲームを30分間行いました。そしてその能率を測ると、対策した組は能率が下がらず最後までシャキットしていました。
 「これは絶対に効き目がある」と思います。試験のときはマスクに緑の香りを含ませて望めば最後まで集中でき、合格間違いなし。。
2005年03月13日
 休日の朝はゆっくり寝ていたいと思いながら熱海ゆらっくすマラソンにエントリーしてあるので我慢して起きました。寒くて辛いので今回は止めようかという考えも頭をかすめました。昨日までの意気込みはまったく頭に浮かんできません。しかし「明日はロードレース」と母に言ってあるので今更止めたなどと言うと、今後何を言われるかわからないので、どうしても行かなければなりません。ということで出発しました。
 熱海までは新幹線で行きます。新幹線は雪による遅れを考慮しておかないと受付時間に間に合わない可能性があるので1本早めの“こだま”にしたのだけれど、やはりこのあとの“こだま”には少し遅れが出ていました。
 熱海は浜松ほど風が強くないというかほとんど無いので暖かく、サンビーチの“さくら”が見頃になっていました。とにかく日差しが強く帽子をかぶらないと日焼けするんじゃないかと思ったくらいです。
 会場では毎年出場している常連さんと顔を合わせ、1年に一回の再会を喜びました。
 レースは10時に5kmでそれが終了して11時から12kmになります。海岸線でアップダウンが無く、交通を完全に遮断しているので安全であり走りやすいと思うのですが、年々参加者が減少しています。
 原因と対策を少し考えて見ます。
 スタートはタイム別にプラカードで並び順を仕切っています。しかし自分の実力から2ランクから3ランクぐらい前に並ぶゆっくりランナーが多いので、最低でもマイナス10分した位置にしないと損です。ゼッケンの色分けによる位置決めをするか、分けないほうがいいかもしれません。
 それから入賞の年代別の区切り方が悪く大雑把すぎるので、部門のなかで若いランナーのほうがぜったいに、入賞する率が高くなってきます。
 6位までの入賞を3位までとし、年代を分割して部門をもう少し増やしたほうがいい。ランナーはいつも自分の能力よりかなり高い目標であっても、かすかな可能性があれば自分の実力に期待するから。しかし区切った年代の差があまり大きいとあきらめざるを得ない。マラソンは自分との闘いと言ってもレースに出れば順位は大変気になるもの、年代のハンディキャップが少なくなるように部門を区切ってもらいたいと思います。
 私はスタート位置を去年と同じ、全体の人数の中間ぐらいにしました。しかし、いざスタートするとゆっくりランナーが前に“うじゃうじゃ”しており、積極的な走りができない状態でした。
 右に左にかわしながらごぼう抜き。邪魔だと思う反面「へん、どうだい!」という爽快感があります。3km地点まではかなり追い抜くことができ、5kmから9kmぐらいまでは私と同じレベルのランナーで抜きつ抜かれつ、最後残り3kmになるとラストスパートしてくるランナーが多くなり、少し抜かれ気味になりました。
 ここのスタートゴールはコンクリートの川底のようになっており、南側上から大勢の応援があって頑張らされてしまう感じ、また頑張ってやらないといけない感じがあります。しかし、私はゴールに余力を残して走ってきたわけじゃないのでここで結構抜かれてしまいました。
 結果的に昨年より1分近く短縮でき、満足できました。
2005年03月04日
 昨日無くしたUSBメモリが見つかると一縷の望みをかけて出勤し、落としたと思われる場所を探してみました。しかしやっぱり無く、それでも諦めきれないので念のため守衛にも聞いてみようと思いました。
 守衛にも、やはり有りません。
 最後の望みはロッカーです。いやまだ、職場の机の上に置き忘れているかもしれない! 希望は次々と広がっていくほどに淡いものとなりつつあります。
 ロッカーの中も回りにも落ちてなく、作業ズボンに履き替えポケットに右手を突っ込むと、何か異物の感触。
 有りました。
 すごい感動と同時にホッとしました。
 結局Yシャツの胸ポケットからズボンのポケットに移していたようです。このことは昨晩から何回か思い出そうと試みたのですが、Yシャツのポケットへ入れたときは違和感がるなあと感じたこと以降の記憶を思い出すことができなかったのです。
 昔から記憶力が悪いから、今回のように思い出せなくてもあまり強いショックは感じませんが、少しは忘れない努力をするようにしていかないといけないと反省しています。
2005年03月03日
 小雨のなか駅に向かって急いで歩いていると、ラジオのイヤホンが外れそうになり直そうとしたら、足元でプラスチックが転がったような音がしました。50mくらい歩いてUSBメモリを落としたかもしれないと気づきポケットの中を探してみました。
やはり無い。
 会社でYシャツのポケットに入れ、入門証の出し入れで落とす可能性があるので注意しなければいけないと思っていたのに落としてしまったと思いました。
 それで落としたような音がしたところまで引き返して、探してみました。あたりはもう暗くなっていて探しづらく、よく分かりません。それに本当にここで落としたのかも疑わしく、正門を出るときは入門証を出し入れするから一番可能性が高く、ロッカーで着替えるときも僅かながら可能性があります。
 また側溝に蓋がしてあるけれどその隙間から落ちたということも考えられ、探すのをあきらめました。
 駅までの道のりでポケットの中やザックの中を3回調べたけれどやはり無い。
 5000円もしたのに悔しいという思いと、他人の写真が入っているので、それがまた心配になり頭の中は後悔でいっぱいでした。
 運が悪いときは不幸が続く。いや運というものは運であり悪運だから次も悪運ということはないのだ。悪運も幸運も運に関連性はないのだ。だからこれで幸先が悪くなるということはないのだ。と考えながらも、落とすかもわからないと胸ポケットに入れたことを後悔しました。
2005年03月01日
 目が痒かったり、ざらざらするようになってきたので眼科へ行きました。
 眼圧を測るときに何回も測るので高いのだろうかと思っていると、やっぱり少し高めのようです。先生は「すぐに緑内障になることはありませんが念のため2週間後にきてください」と言います。しかしその前には一ヵ月後と言っていたのがすぐに撤回され「緑内障」という言葉が出てドッキンとしてしまいました。
2005年02月27日
 縁は異なもの
 今日は杉の里ロードレース大会でした。
 昨日は地元の仲間でボタン鍋を食べに、渋川の儀光温泉へ行ってきました。しし肉をボタンの花のように盛り付けてあり、それを味噌味の鍋にいれて食べます。しし肉は脂身が少なく少し固めです。スタミナが付く感じがします。
 日本酒を散々飲んで帰りはブラックアウトになってしまいました。ジャンバーは忘れてくるし、今朝はまだ頭が痛くて下痢状態であり吐き気もするし、これでロードレースに出ることができるのだろうかと思いながら、とりあえず行かなければ母親の口撃が強くなる一方です。
 会場まではいつも自家用車で行くのですが駐車場が分散され、今回は会場のとなりの第一駐車場になり一番いい場所で体調不良のため助かりました。
 ここで昨日の帰りの運転手さんがロードレースに参加していてバッタリ出会ったのです。私は記憶喪失で何も覚えていないから分からなかったけれど、向こうから声をかけてきて「昨日の帰りにバスの運転をしたんですよ」と言われ「ああ、そうなんですか」と初めて分かりました。この人のマラソン歴は結構長く、大会も各所多く出場しているようです。これからまたどこかでお目にかかるかもしれない楽しみができました。
 レースが始まって1kmを過ぎたあたりに会社のH係長がコース監視をしていて「ひさまっちゃん」と声をかけられ、「エエッーだれだ!」とすぐに分からなくて通り過ぎてから、手を振ってこたえました。
 知っている人に合うというのは勇気百倍、根性百倍だと思いました。レース出場を危ぶんでいたのに、徐々に調子をあげペースは上がらないものの完走への自信が高まります。
 昨年は最後のエードステーションで歩いてしまったのが、今年は歩かずに完走できたのが奇跡のようでした。ゴール1km手前は脚の痛さを根性でカバーし、腕を振ることで脚をリードしました。そうして頑張ったことによる充実感がいまだ残っています。
2005年02月16日
 「うまいじゃないか 本生!キャンペーン」に当選。缶ビールが5本です。
 家に帰ると「ご当選おめでとうございます」と書かれた荷物が届いていました。重さがあるのですぐにビールと分かりました。
 懸賞に当選して何かが送られてくると、賞品は何であれとにかく嬉しいもので、運が開けるような、先行きが明るくなるような兆しを感じさせるものがあります。
 きっと明日はよき日でござる。
2005年02月12日
 第一回の浜松シティマラソンは5000人弱のエントリーがあり、晴天のなか無事に終了できたようです。
 私が一番気にしていたことは10kmコースがスタート、ゴール地点が違うということでした。自衛隊広報館がスタートで四ツ池公園がゴールになっていて、広報館で受付するということは荷物を広報館に置いておき、ゴールしたら広報館まで取りに行かなければならないのか。それもレース中の服装で、と思ったからです。走り終わったあとは疲労が大きければ大きいほど冷えが厳しく襲ってきます。天気など当てにならないから辛いことになるかもしれないと覚悟していました。
 しかし、ランナーの荷物はすべてゴールの四ツ池公園まで運ぶようになっていました。
 この点は大会の案内に書いておいて欲しかった。始めから分かっていたら、四ツ池公園に自転車を置いてシャトルバスで広報館へ行ったのに。
 四ツ池公園に運ばれてきた荷物の置かれ方に不安が残りました。ランナーなら誰でもどれでも持っていけそうな感じです。自分で探して持っていくのだから、故意に他人のものを持っていくことも可能です。
 広報館ではトイレの長蛇の列に参りました。臨時トイレを設置すべきです。
 来年はハーフを走れるようトレーニングに励まなければ。ともう来年のことを考えています。
2005年02月03日
 最近でも節分には子供達が袋を持ってお菓子を貰い歩くことがあるのかと、自分が子供のときにやっていたことが今もって続いていると嬉しくなります。
 帰りに暗くなった道を、数人の子供がお菓子やミカンをビニール袋に入れて歩いているのを見て、改めて節分なのかと思いました。
2005年02月02日
 スカイプユーザーになっても電話することができません。それはマイクが無いからです。というわけで安いヘッドセットを買ってきました。
 実はスカイプアウトはヘッドセットやハンドセットが無いときから購入して、自分の家の電話にかけてみました。しかし何回試しても繋がらない。そこで気になったのはヘッドセットが無いことです。PPPみたいにセションの確立をするためには、受話器に相当するものが備わっていないと繋がらないのかもしれないと思ったのでした。
 しかし実際はそういうことでなく、購入できたと思っていたスカイプアウトがキャンセルされ、購入できていなかったことが原因でした。
 SuccessfulとかCompleteなどと表示されるともう登録できた。完了できたと思ってしまいます。
 英語が不得手というのは情けないと思いました。
2005年01月13日
 昼食ごろから右のわき腹から背中にかけて肋骨が痛くなりました。特別無理な格好をしたり、力を出したりするようなことをしていなのに何故なんだろうと、いくら考えてもわかりません。朝は4〜5分程度のジョグとそれに続けて体操をしただけです。毎日やっていることです。
 交通事故で入院したときのことを思い出します。帰りになっても治まらないので夜中に悪化したら困ると思って医者へ行きました。
 レントゲンを撮り、背中を叩いたり、背骨や肋骨を押したりして下した診断は特に何もないということです。自分も骨格や筋肉の傷害より、肝臓や心臓・血管など内臓に病因があるかもしれないということを気にしていたのです。しかし私の気にしていたことは全然調べないし、話にも上りませんでした。
 とりあえず痛み止めとシップ薬が処方されたので、夜中の激痛なんてことは回避できるか?
2005年01月11日
 目が治りません。角膜に傷がついているということですが、血液が流れているようにも思えないないのに痛い。点眼薬はビタミンB2を主としたものです。
 そうかビタミンB2が足りないのか。だったら経口から飲用するものでも効果があるのじゃないか。と思ってビタミン剤も飲んでいるのですが、あまり効果がありません。
 今日は目医者で白目の透明部分が腫れているのでそれを削り取るというのです。何かすごく痛そう。いやだなあと思って黙っているとそれを察したのか「痛くありませんからね」「そっちで待っていてください」と言いました。しかしそれに続けて看護婦さんに「ドリルの準備をして」とも言いました。
 ドリルというとグルグル回って穴を開ける物です。そんなもので何をしようというのか。心配になります。
 とりあえず目を洗って麻酔の点眼液を点しました。「目薬が沁みなくなりましたか」「はい」というと、始まりました。たしかに麻酔が効いていて痛くありません。看護婦さん二人に頭を抑えられて目を開けさせられて惨めな気持ちです。ドリルというのは鉛筆ぐらいの太さで、先が細い目打ちのようになっているように見えました。目を開けていても何をしているのか分かりません。
 終わってから「2〜3日目がゴロゴロするかも分かりませんが大丈夫ですからね」というので麻酔が切れると痛いのかとまたまた不安になったのですが、現在のところ大丈夫です。
 しかし原因が分からなければ今回治ってもまた再発します。やっぱりビタミンB2の不足なのかなあと思います。
2005年01月08日
 今日は三重県の釈迦ヶ岳登山をしました。しかし頂上までたどり着けませんでした。1092mしかなくても麓から雪が積もっており、登山道が分からなくなることが度々です。雪がふかふかで落とし穴に落ちるような感じのところも多く、手袋は濡れて凍てつき、疲れも出てきたので引き返すことにしました。
 初めての雪山登山になり、装備の不備が明らかになりました。
2005年01月04日
 ETCを付けたけれど本当に使えるのだろうか?
 カードを試す機会がなくて気がかりなので、ドライブがてら浜松西インターから浜松インターまで1区間を走ってみました。
 西インターの入り口に近づくと、紫で“ETC”と表示された看板が見えました。「あそこか」と確認し、赤信号の交差点で待っていました。青になって進むとさっき確認した紫の看板が消えているのです。何が何でもETCレーンを通らなければ目的が達成されません。ここは一般車は通れませんという看板があって、ETC専用レーンであることをあらわしていたのでそこに入ると、トラックと乗用車が止まっていました。ちょっとしてからトラックから運転手が降りて何かしています。公団の職員が来たので時間がかかるかもしれないと不安になります。私の後についている車は50mほど離れて止まっており、様子を伺っているようです。何か不安。
 ETCは入り口でETCレーンを通過しなければ出口でETCレーンを通れません。つまりETCレーンの無いところから入ったら、出口にETCレーンがあっても通れないことになります。
 しばらくして通過できるようになったのですが、入り口でもたもたして自分の車のETC装置はちゃんと認識したのかどうか分からないので、今度は出口でスムーズな通過ができるか心配になりました。ゲートが開くか、開かないか、すぐブレーキを踏める体勢で進むと、結構至近距離にならないと開かないのがわかり緊張が高まります。
 料金は400円ですというアナウンスと表示がされ、無事に通過できました。
 やれやれ。
2005年01月03日
 鳳来寺山へ初登山に行ってきました。霜が降りて山頂には雪が残っており冷たい日でしたが、晴天に恵まれ今年の山行を幸先の良いスタートが切れたことで、いい年になりそうな予感がしました。
2004年12月24日
 イチローが目標というのは一気にそこへ行くことはできない。小さなことの積み重ねを繰り返していくことで到達できるということを言っていました。
 また、英会話入門の岩村圭南が、後でまとめて練習することを約束するよりも、毎日少しでも練習したほうがいいですよと言っていました。
 自分としてはランニングとオーバーラップさせ納得していたのですが、そのほかにも多くのやらなければならないことを、無為に過ごしていることも分かっています。
 しかし目的に向けて何かをすることは努力しなければならないことで、決して楽ではありません。
 また以上のことを、逆に考えると、毎日少し悪いことをしているため、それが積もり積もってある日突然自覚症状として体の不調が出るということです。これは茹で蛙の法則で、日々のなかでは、気が付かないのです。悪いと分かっていても、まだ大丈夫だと思い込ませたり、勉強や運動なら、後でまとめてやろうと考えて、結局何もやらないことの繰り返しになります。
 悪い面、マイナス面は努力しないことや快楽を求めることで達成?できるので恐いのです。年老いてから分かります。
2004年12月15日
 家の中に日ごろ使わないものがあっちこっちに置かれ、どの部屋も片付いているようにはとても見えません。それでいざ片付けようと思って手を出すと、これもあれも捨てたりしまったりすると必要なときに困りそうで、結局少し位置が変わるくらいで物量の変化なしという具合になってしまいます。
 すぐ使いそうな気がするのに実際には使っていないものがほとんどであり、90%以上をを占めています。
 この状況は箪笥や机の引き出し、棚、本棚、倉庫の中にしまわれている物も一緒です。捨てるに捨てられない。もらい物の食器やタオル、シーツ、ハンカチ、靴下など新品のままであり、確かに捨てるにはもったいないと思うのですが、実際に使っている食器は10年以上になり、欠けていたり絵柄が剥げていたりしているのです。
 本当にもったいないのは使わずにしまっておくことだと思います。
 新潟中越地震で倒壊した家屋や水底に沈む家屋を見ると、物を大事にするとは大事にしまっておくことではなく、必要なものを大事に使うことだと感じました。
 一度読んだ本をもう一度読むかもしれないと本棚に残しておいても、いまだかつてそんなことをしたこともないのに、いぜんとして捨てる勇気が出ません。
 不要なものを捨てるのではなく、使わないものを捨てるという風に考え方を変えていかなければなりません。古いものは懐かしさがあります。しかし実用的でないなら捨てるという勇気を持ちたいと思います。
 今年も残りわずかになってしまったけれど、来年はすっきり整理された部屋にしたいと思います。
2004年12月14日
 ETC車載器が付いてもETCカードが無ければ何にもならないというより、試してみたい気持ちが強くなってきました。
 最初はせっかく新車を買うのだからETCも付けたほうがいいなあぐらいで、ETCの知識はほとんど無く、カードが無ければ使えないことしか知りませんでした。
 とりあえずカードを手に入れるためには自分の持っているクレジットカードでETCカードを作らねばと、イトーヨーカドーのIYカードのサービスセンターへ行きました。しかし残念ながら取り扱っていないそうです。
 次にメイワンのフレンズカードはどうかと思って行くと、取り扱っているということで、すぐ手続きをしました。ところがメイワンはセゾンで1年目は無料であるけれど2年目からは525円の年会費が必要です。
 イオンのカードはたしか年会費は無料と聞いたような気がする。
 家に帰ってすぐインターネットで調べるとやっぱり無料です。
 という訳で今日はメイワンのETCカードをキャンセルし、ジャスコへ行ってイオンカードとETCカードの手続きをしてきました。
 カードはできるまでに3週間かかるということで、正月休みには間に合いそうもなく残念です。
2004年12月13日
 土曜日から右目の中にゴミが入ったような感じがして、瞬きするたびにゴロゴロして少し痛みがありました。目を開けているのが辛いので片目で仕事をしました。
 仕事を早々に切り上げて眼科へ行くと、角膜に傷があるということです。前から光を当てている状態で「左上に白いものが見えるでしょう」と言われ、確かに白いものが二重になって存在していました。たぶんそれが角膜にできた傷なのだろうと思います。
 でも、どうして角膜に傷ができたんだろう?
2004年11月29日
 会社の帰りに新しい車と交換しました。
 新しい車はマツダの「MPV」です。MPVとはいったい何の略だろう?と、ときどき疑問に思って、まあ何の略でもいいやとすぐに考えるのをやめてしまうのだけれど、やっぱり気になる名前です。
 後ろのドアは運転席のスイッチで開けたり閉めたりでき、後ろの座席をしまうと広いフラットなスペースができ、細かいところにいろいろな機能があって楽しみです。あとはNAVIの操作を覚えて宝の持ち腐れにならないようにしなければならないと思います。 
2004年11月20日
 年寄り3人を乗せて老人病院へ御見舞に行くと、昨晩亡くなりましたということで一同唖然としてしまっていました。私から見れば90歳を超えて入院しているのだからいつ死んでも不思議じゃない気がするのですが、同年代だとそんなふうには感じないないのです。
 まずお悔やみに行かなけりゃいけないと、取って返して家にも寄らず行きました。
 生前は達者で遠くまで出かけ、食べるのが面倒なくらい小さな野菜(たとえば5cmくらいのニンジン)を1、2個持って、お茶を飲みお菓子を食べて遊んでいくと呆れ返えられ、その後5年以上も入院して、最近は誰が行っても誰だかわからない状態がでした。
 しかし、死んだ人は高貴でした。やっぱり人間同士だから自然とそう感じるのでしょう。でも本当は生きているうちのほうが悪く言われたり嫌われないようにしなければいけないのですが。
2004年11月18日
 今朝は人間ドックで飲食は一切禁止。だから5時半過ぎに家を出て聖隷三方原病院へ行きました。しかし、さすがに早すぎです。検診センターの玄関が開くのが7時過ぎだから1時間前に着いてしまい、トイレに行きたくなってどうしようかと、病院の本館へ行くと自動扉が開いて一安心でした。
 車のなかで提出物をチェックすると受診票がない。アレ。そうだ確かに見てない。最初からそんなものは無かったのだ。オプションの案内があったけれどその中へ一緒にまぎれてしまたのか。
 受診票は受付箱に入れなければならないので、それが無いと順番が最後になってしまうかもしれない。せっかく早く来たのにお笑い種だ。ついてない。
 他の受診者もだんだんと集まりだし、7時過ぎになると検診センターの職員が来て電灯を点けたので、とりあえず玄関前に並びました。職員が自動扉を開けると「ピンクの受診票を受付に出して待っていてください」と言っています。そんなこと言ったって、ない。「あのー、受診票がないんですけど」「何か分かる紙を出してください」。ヨシ、それなら問診票を出しとけばいい。問診票を受付箱に出したら、他の女性の受診者から「それは、問診票ですよ」と注意されてしまう始末。そんなことは分かってる。俺は持ってないんだと腹立たしかったけれど「ないんですよ」と言っておきました。
 そしてすぐに受診票でなく問診票を出したので受付に呼ばれ、私は封筒に入っていなかったと言いました。しかし、受診票の氏名住所は封筒の窓から見えるようになって郵便のあて先になっていることを指摘され、私が嘘をついていることになってしまいました。
 裏が地図になっていることを言われたとき、アッ見た、と分かったのですが、表のピンクの「受診票」は見た覚えがまったくなかったのです。たしかに、封筒の裏に書いてある持ち物一覧を確認しなかったことは落ち度でした。
 いろいろあったけれど順番は2番目を確保したのでよかったです。
 人間ドックのメニューに「体操」があります。今日はバランスボールを小さくしてイボを付けたボールを使いました。ボールの上に座って足を揃え膝をつけて90度に曲げるとバランスが悪くなります。また足を広げ片足を少し上げた状態で両腕を上に挙げ片手を一旦水平になるまで下ろし、もう片方の腕を水平になるまで下ろして、両腕を同時に下まで下ろすこともやりました。これが私より年配の人が結構できるので実はショックを受けたのです。とにかくボールの上では不安定でグラグラ、足もお尻も力が入ってすぐに足をつけてしまい、バランス感覚がまったく悪いことが分かりました。
 ジョギングをしたり登山をして鍛えているから、年齢より運動機能が優れていると思っていた自信がもろくも崩れ去ってしまいました。
 テーマは体の軸をつくるということで、大腰筋を鍛えることです。このボールの上に座ってエクササイズをするときは、お尻の穴に力を入れることがキモで、ギュッと締めた状態で先の動作をゆっくりします。しかし、私はこのお尻についての効果、感覚についてはほとんど分かりませんでした。とにかくバランスが悪いと思いました。
 女性インストラクターは両足を上げた状態で座ることができ、いつまでもできるというのです。たしかにやってみせたので、すごいと思いました。
 もうこのボールが欲しくて欲しくて、どこに売っているんだろう?
2004年11月17日
 連合が全国的にサービス残業に対する電話相談を始めます。その他に賃金の未払いや職場の人間関係についても相談を受けるそうです。
 工場の生産労働、開発・研究部門、事務職、セールス、店員といろいろな職種のなか、時間外労働で残業代が払われるべきものとそうでないものがあると思います。
 個人の能力でノルマが達成できる職種については、出来高払いのほうが会社と労働者双方にメリットがありそうです。労働時間の長さが給与に影響するなら、のんびり夜遅くまで仕事をするようになるだけです。そしてそのことによって自由時間を減らし労働時間を長くするので、時代に逆行することになり、ゆとりある生活からかけ離れていきます。また、会社の競争力もなくなります。
 私の会社では業務優先を声高に言い、残業は自己申告制にしてそのまま承認しているのですが、個人差が大きく申告をそのまま残業にしたら労働基準法に抵触するのではないかと思われます。月による波動もあるので年間を通したら基準内に収まるのでしょうが、能力差による残業は給与面で不満が残ります。
2004年11月16日
 自転車に乗って会社を出るとすぐに陸橋があります。そこは車道しかないので車が非常に怖い。その上欄干が低いので車にぶつけられると欄干越しに下へ落ちそうであります。陸橋を超えると信号機があり、赤信号で止まっている車のライトが眩しくて足元が見えません。信号機で先頭に止まる車はライトを消して欲しいと思いました。
 自転車は歩道を走るのが正規なのか車道を走るのかはっきりしていないけれど、車道が正規であると聞いたことがあります。歩道では自転車によって歩行者が、また対向する自転車同士が危険にさらされ、車道では自動車によって自転車が危険にさらされています。歩道も車道も狭くて安全が保てません。どちらを走っても自転車は嫌われ者であります。
 暗い道を歩いている人が黒い服であると、まじかに迫るまで気が付かなく、驚くことがよくあります。歩いている人にぶつかったんじゃ話になりません。そして街灯のない暗い道は、対向車のライトで道の形状が見えなくなってしまいます。路面には異常が何も無いことが当たり前という常識をたよりに前進するのみです。
 家の近くまで来ると、また小学校のナイターの光で道路の表面がどうなっているかわかりません。
 自転車での帰り道は不安と恐怖でいっぱいです。
2004年11月14日
 朝6時1分発の電車に乗って、第19回大府シティ健康マラソンに参加してきました。
 雨が降りそうな天気でしたが、降っても小降りで済むだろうと思われ、さほど気にすることではありません。それよりも膝が痛くて走れなくなるんじゃないかと心配でした。大府駅から会場へ向かって歩くだけでも違和感があるのです。シップ薬を塗り、レースに備えてマッサージをしたおかげでスタート時間には痛みが無くなっていました。今まで、いつも痛かったのに、スタート時間になったら痛くなくなったのは意外でした。しかし結果は過去最悪です。
 毎年レースタイムが順調に悪くなっていくのは悔しい。しかしそれも1ヶ月100kmが走れていない現状からみればいたしかたのないことです。
 今年は瀬古利彦監督が招待選手で出場し、アテネ・オリンピック・レスリングの伊調姉妹も出て大府も賑やかな大会となってきました。
2004年11月13日
 昨晩は出張帰りに焼酎を少し飲みすぎました。飲みすぎたのは本当に少しだったのに、夜中に右足のふくらはぎがこむら返りを起こし激痛が走りました。それも2回もです。
 昔、家では「こぐらんかあった」と言ってました。
 布団の中で伸びをするとき、足も一緒に伸ばすのだけれど、そのときふくらはぎの筋肉がグーンと収縮し、バッカイタイ激痛に耐えるしかありません。
 冷えることが原因になっているけれど、こむら返りが始まるともう止められなくて、さすったり揉んだりしてもだめです。意思に反して硬くなっていく筋肉は、力一杯痛くなるまで収縮し我慢するしかありません。一日中痛くて明日のロードレースが心配です。
2004年11月11日
 今、年賀状の図案を検討作成中です。パソコンで写真や絵を合成し、文字にも何か工夫ができないか考えています。しかし、結局パソコンやソフトなど借り物を使って作成すると軽くなってしまいます。
 たとえば自分で描いた絵をスキャナーで読み取ってそれを貼り付けたとしても、年賀状の作成本からの借用に思えるし、墨で文字を書いてそれをやはりスキャナーで読み取って貼り付ければ、そういう字体がパソコン・ソフトにあるように思われるのです。しかもうまくきれいにできるほどそういうふうに思えます。
 下手でも直接年賀はがきに書くことが一番で、ご無沙汰の人でもその人の顔が見えてきます。
 といってもやっぱりパソコンで印刷することに。
2004年11月10日
 変な夢を見ました。
 大きな車庫に入って車を止めるのです。自分の車庫でないことは確かです。そのため、後ろめたさがありました。とにかく広くて車の方向転換も可能なくらいです。
 初めはどこの車庫か分からなかったけれど、ある時点で既知のこととして、昔同級生の高山の家のものになっていました。
 その車庫に車を止めると、警察が来て俺を逮捕するのです。罪状ははっきりしないが、多分住居侵入罪ということだろうと思います。がっちりした警察官二人に挟まれてパトカーの後部座席に座っていて、俺が「何でこんなことするんだ。ここは俺の知り合いのところだ」とか言うのですが、警官は何も言わない。そしてそこの場面を50歳近くの女の人が玄関前に立って見ているのです。
 突然車庫の奥の壁は家の玄関になっていました。そこへ同級生の高山が突然存在していて、会話が何も無かったのに、俺の疑いが晴れました。
 高山は有名人らしく、警察官の上司らしき女がこれまた突然登場して高山に何かを頼んでくれというのです。
 頼まれるとすぐにいやとか拒否できない性格であれこれ考え、どうしてそんなことをしてやらなきゃいけないのかと思っていたら
 「もう、起きなよ」と言う声で目が覚めました。久しぶりに起こされ、汗ばんでいました。
2004年11月04日
 今日の大きな出来事は、ブッシュが再選されたことです。しかし、私の大きな出来事は、出勤時鳥に糞を落とされたことです。足早に歩いていたら、電線にとまった鳥が糞を落として、私のシャツの前面に付きました。もう少し速ければ頭に落とされ、遅ければ当らなかったのですから、シャツの前面でウンがよかったのでしょう。
2004年11月03日
 市場まつりでカニ、イクラ、刺身などを買ってきました。あれも欲しいこれも欲しいと思っても、食べきれないし冷蔵庫に入らないので、常には高価だから買わないものを買ってきました。白菜や大根も安かったけれど少なかったようで、開場するとすぐに売れきれたようでした。
2004年10月28日
 今日は新しい靴で、くるぶしの皮が剥けて痛い思いをしました。
 通勤に履いていたズックがあまりにもヨレヨレでみっともないし、雨降りには水が入ってくるので、昨日思い切って新しい靴を買ってきました。
 サイズが23.5cmで少し小さ目かと思いきや、意外と大きいのです。これより小さいのは女性用か子供用になってしまい、ウィズが狭かったり、デザインが気に入らないものばかりです。
 ブルックスでゴアテックスなら履きやすいだろう、快適だろうと思ったのに残念でした。
2004年10月25日
 帰宅途中、少し足が震えて、歩きたくない気分です。少しめまいもするので、貧血かもしれない。
 原因といえば、明け方に胸やけがして、寝られないのでトイレに行ったことかなあ。
2004年10月24日
 毎日同じことの繰り返しのなかで、何も改善されなくて「学習能力が無い」とつくづく感じます。最近は本を読む時間が無くなって、酒を飲みながらテレビを見る時間と、インターネットを見ている時間で終わってしまっています。
 マラソントレーニングは以前よりタイムが悪く、筋肉疲労がいつまでも残るようになってきているので、酒の量を減らさなければならないと思っていても、夕食時間になるといつものように飲んでしまいます。
 仕事でも、トラブルがあって原因追求をすれば、過去の事例と同じようなことが起こっています。二度と同じトラブルが起こらないようにしておけばいいのですが、解決するのに精一杯で、解決できるとそれで安堵して終わってしまいます。
 生活改善をするためには、悪いことと思ったことを繰り返さないように「学習能力を高める」ことです。しかし、いずれも不可能かな。
2004年10月23日
 温泉旅行して疲れて帰ってくると、何のための温泉旅行だったのだろうと思います。温泉のお湯に浸かっているときは心身ともに癒され、会社の嫌なことや、いろいろなストレスから完全に切り離されて、のんびり・ゆったり・安心な気持ちになります。しかし、帰ってきたら旅行疲れ、現実への回帰、大きな出費がストレスになってしまいました。
 しばらく温泉へ行かないと「たまには温泉でも行きたいなあ」という気持ちになり、行けば行ったで「温泉へ行っても疲れちゃうなあ」となるから、泊らなければ出費は抑えられるので、これからは近場の日帰り温泉にしようと思います。
2004年10月20日
 台風23号が接近し、風雨が強くなっているので早く帰ることにしました。
 カッパを着て駅まで歩き、電車に乗るつもりが、島田−金谷間で止まっていると案内板に書かれており、復旧する見通しが立っていないと放送しているので、家まで歩くことにしました。雨は小降りでも風が強いので、顔に当たる雨粒は痛い。
 風の様子をうかがいながら傘をさしたり、つぼめたりして、2kmぐらい歩くと、乗ろうと思っていた電車が走っているのを見て、がっかりです。
 しかし、以前から災害などで自家用車や公共交通機関が使えなくなったとしても、俺は迅速確実に、家に帰る自信があるんだと思っていたから、この台風23号の吹き荒れ危険ななか、歩いて帰ればそれが実証できたことになると考えて一生懸命に歩きました。
 交差点では右折する車に跳ねられそうになり、強風で樹木が大きく揺れ、電線が唸って恐ろしい音を出すので空を見上げたりし、トタンや看板が飛んで来ないか不安な思いをしつつ歩きました。
 何事もなく家路につき、家屋に被害が無いことがわかって一安心しました。
2004年10月19日
 ザイルの選択がよくわかりません。
 インターネットで調べると、太いのは重く、濡れるとより重くなる。沢登りは8mmがよく使われている。と書いてあり、登山用品の専門店で見ると、8mmも9mmもメインとして使わないでくださいと商品に書いてあります。太さがいろいろあり、規格品かどうかの違いもあり、ただ単純にザイルが欲しいと思っているんじゃ買えないことが分かりました。
 使用目的もなくオールマイティに補助用、緊急用にと考えているなら8mmぐらいがいいかもしれないと思います。
2004年10月18日
 出勤時、自動改札にひっかかりました。
 初めてです。
2004年10月17日
 天竜川河川敷をランニング中、何かキュー、キューと間合いを置いて鳴いているので、草木の中を覗きこむと、まさに蛇に飲み込まれる寸前のカエルの鳴き声でした。
 カエルは仰向けの状態でお尻から食いつかれ、左足と首から上の頭の部分が蛇の口からはみ出ていました。
 徐々に飲み込まれていくなか、ときどきキューとかわいそうな声で鳴きます。冬が近づき蛇も生きるため、妨害してはいけない気がしました。
 でもホントにかわいそうな声だったから、光景もショッキングでした。
2004年10月16日
 久しぶりに10kmをランニングし、前々から気になっていた垣根の細葉(牧の木)を刈り込みました。
 今年は台風が多かったことと、遊びに出かけることで、なかなかチャンスがなくて、遅くなってしまいました。しかし、隣近所はまだ、手入れをしてないので、うちが一番早くなりました。
 昼に、四千円を投資して脚立を買いましたが、植木屋さんにやってもらうと、二万円はかかるから、安いものです。
 また、植木屋さんによっては、片づけをしてくれないから大変です。切りくずを片付けるのは、刈るのと同じくらい大変な仕事で、むしろこっちのほうが腰や体幹部が痛くなります。
 大仕事が一つ片付いたので、やれやれです。 
2004年10月15日
 会社から帰る途中で、久しぶりにお腹が空く感じが得られました。あのお腹がツーッとなり、アーッ腹が減ったという感じが、すごく気持ちがいい。
 飲み食いは好きな方だから、たくさん飲み、食いたい。したがって、お腹が空けばたくさん飲み食いできるという訳です。
 ホウ酸事件から体調が復活か。
 今晩は、酒の量が少し多くなりました。
2004年10月13日
 ようやく帰って来ました。
 11日から3日間、在来電車の旅で、鈍行と快速電車、最後は新幹線でしたが、電車(気動車もあり)ばかり乗っていたので、乗り疲れました。
 切符は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」で特急、急行、バス以外は乗り放題です。途中下車も自由です。
 できるだけ遠くまで行こうと思っても、在来線だけだと遅いし、乗り継ぎが多くなってダメですが、時間があってゆっくりのんびり旅行しようというなら都合のいい切符です。
 しかし、疲れました。
2004年10月10日
 何日も続いた下痢が、一件落着しました。
 もうすでに2週間ぐらいになります。朝、トイレに行くと普通の大便です。しかし、2回目3回目と行きたくなり、そのたびに柔らかさが増して、3回目4回目になると水というか、お湯みたになってしまいます。
 その後会社へ行けば、ある程度落ち着いているので、医者へ行かなくても置き薬で治ると思い、正露丸、ビオフェルミン、下痢止め薬、カゼ薬と飲んで、明日の朝には良くなると願っていました。
 その繰り返しの日々を続けて、2週間も経ち、7日には医者へ行ってきました。診断ではお腹の細菌のバランスが崩れているのだろうということです。それで処方された薬が、整腸剤、抗菌剤、胃薬でした。また便培養もし、この次の診察時に結果を聞くことになっています。
 3種類の薬を、食後忘れずにしっかり飲んでいるにも関わらず、3日たっても回復しないどころか悪くなっていきます。赤痢?大腸がん?いよいよ俺も訳の分からない病気になってしまったか。いくら考えても症状から病気の種類は分からないし、原因も分かりません。
 しかし、今日、母がニンジンやレンコンを煮て味がおかしい、あんまり美味しくできなかったと言います。そして、ここにあるお塩を開けたけど、これお塩かねえと言うので舐めてみると、臭いもないけれど味もありません。
 「何これ!、味がぜんぜんないじゃん」ということで、ホウ酸であったことが判明しました。
 いくら薬を飲んでも、ホウ酸を食べていたんじゃ治るわけありません。下痢の原因が判明したら、急に回復してきました。
 ホウ酸は毒です。何せホウ酸だんごでゴキブリを殺すのですから。私は吐き気がなかった分、まだ量が少なかったけれど、何回も食べていたわけです。
 成人だと20g、子供で5gが致死量となります。臭いも味もないので、知らなければパクパク食べてしまいます。
 ホウ酸を塩と間違えた原因は、袋にあります。薬局で大袋のものを買ってきたので、それを塩の使いかけと勘違い、思い込みをしてしまったことです。
 台所に危険なものを置かないようにするか、大きく明記しなければならないと思いました。
2004年10月07日
 帰りの電車が満員で到着しました。いつもそんなに空いていないけど、今日は「うへー」です。ホームにも多くの人が待っているのに、そこへ到着したのが満員電車です。
 昨日、今日と久しぶりの晴天で「浜名湖花博」からの帰り客と思われます。11日までで終わりなのに、明日からは台風22号の接近で雨。ついに私は行くことがなかった。
2004年10月06日
 気候が涼しくなって、快適な睡眠ができるようになってきました。
 いままで毎日、目覚まし時計がなくても、4時半には起きれたのに、今朝は、5時半に起こされてしまいました。今日から、目覚まし時計をセットすることにします。
 ライブドアと楽天は本社を東京の同じビルに構え、業種もインターネット関連で同じであり、社長の年齢は30代で同じ、体形も似ています。
 ところで、プロ野球参入に何でこうも熱をあげるのか?パ・リーグ、仙台というキーワードだけじゃよくわかりません。社長の趣味や慈善事業であるはずがなく、株主に説明できる会社のメリットが絶対にあると思います。
2004年10月03日
 イチローに贈る父親の言葉にしびれてしまいました。
 「一郎に『克己復礼』の四字熟語を贈りたい。自分を抑制し、礼儀にのっとるようにする論語です。恩人の三輪田さんはプロになった一郎に『克己』を贈り、私は今回『復礼』を加えて『品格ある野球人に』との思いを込めました。これからは、自分との戦いになる。自分自身を追い越して進んでほしい」
 シーズン安打記録を259本とし、大リーグ記録を破ったイチローは、活躍とは裏腹に、私には地味な存在に写っていましたが、やっぱりこの親あってのイチローだと思いました。
2004年09月22日
 せっかく持っている携帯電話。この電源を切っている人が意外に多い気がします。理由は電池がなくなるということです。
 携帯電話は電話を掛けるためにあるもので、掛けられるためのものじゃないのです。しかしこれでは緊急に連絡を取りたいときに困ってしまいます。携帯電話の利便性が半減しています。
 電話を掛けるだけなら、公衆電話のほうが安くていいと思うのです。
 つい最近、携帯に電話がかかってきて、言い忘れたことがあったので折り返し電話をしたら、もう繋がらなくて、後できいてみたら、常に電源を切っているというのです。
 これじゃ話にならない。
 携帯に何回電話しても繋がるわけがないし、何のために電話番号を登録したのか、登録した電話番号に“バッテン”を付けて識別できるようにしなければなりません。
 と思いながら、2日前から私も携帯の電源を切るようにしました。理由は迷惑メールがうるさいからです。着信の合図があっても、ほとんどが迷惑メールで、これを着信するために電池の消耗が激しくなっていると思うと癪に障ります。
 携帯の着信で癇癪を起こしているより、気が向いたときに、着信記録を見たほうが、精神的にいいように思うようになりました。
2004年09月21日
 17日の夕方に隣家の葬式の連絡が届き、明日の葬式の準備をしていると今度は、町内にまた葬式ができ、回覧板が回って来るほど葬式ラッシュです。今日は隣家の葬式の後で、御通夜に行って来ました。
 何回お葬式のお手伝いをしても、毎回初心者で戸惑いのなかバタバタと、気苦労で疲れました。
 話をするのも億劫です。
2004年09月19日
 今回の山行も雨でした。テント泊のため、荷物が多かったこと。酒を飲みすぎてしまったこと。それによって翌日は疲労困憊の状態になってしまったこと。があり天候によってどうしたらよいか、体調をいかに維持するかなど反省点が多くありました。
2004年09月13日
 近頃は、宅配便で物を送ることが多くなりました。送ったり送られたりすることに満足しているようです。
 地元で送料分を加算して買ったほうが、よっぽどいいものが買えるのじゃないかと思うことがよくあります。無駄遣いです。しかし、何か送られてくるとやっぱり嬉しいもので、その嬉しさは送料でまかなわれていると考えたほうがいいのでしょうか。
2004年09月12日
 コエンザイムQ10の効果を「発掘あるある大事典」で放送していました。テレビで放送されると、その効果と信頼性がグッと高まり、真実味が出てきます。ビタミンやカルシウムなどと同じように一般化し、人気が高まりそうな気配がします。まとめ買いしてあるので、せっせと飲まなければもったいない。
2004年09月04日
 スポーツが社会を活性化させ安定化させていることを、もっと認識しなければならない。
 原始時代なら狩猟のために野山を駆け巡り体力の限りを尽くして食を得ていたはずです。人間は努力することに生きがいを見出し、生きることに努力しています。知の追求、力の鍛錬と発散。そして富を確保するためには、力に知が供わなければなりません。暴力とスポーツを一緒にするつもりはありませんが、現代の人間に持て余した力があるとするななら、そしてその力を出す場が無いとするなら、社会に暴力が溢れてきます。スポーツに熱中する人がいて、それを観戦、応援することで力を得ている人たちも多くいます。
 国が豊かになり、生活が安定してくるほどにスポーツの意義が高くなります。日本が成熟した裕福な国になるためには、もっとスポーツを盛んにしていく必要があり、マラソンのような勝ち負けを意識させないスポーツも大事です。
 企業は宣伝のため、地域における企業イメージのため、スポーツに投資しています。アテネ五輪で過去最多のメダル獲得ができた今、日本はスポーツでも先進国になったことを世界に見せ付けました。これは行政よりも選手をバックアップする企業の存在のほうが大きいです。しかしエリートだけのスポーツにならないよう、社会や企業はこれまで以上にスポーツ施設への投資をして、一般化していくことが、今後はもっと必要があると思います。
2004年09月03日
 都市対抗野球はプレーを見ているより、応援することのほうが面白い。
 観戦しているというより、参加している感じです。一生懸命応援すれば打ってくれそうだし、打ち取ってくれそうな気がしてきます。
 アルコールが入るともう乗りのりです。
 奇跡よ起これと願ったのですが、ベスト8進出ができず残念でした。
2004年08月31日
 12kgのザックを背負って会社から歩いて帰りました。おおよそ8kmぐらいの距離だと思います。
 ザックの腰ベルトが当るところが痛くなり、何かクッションになるものが欲しくて、百円均一に入って探し回るといいものがありました。荷物運びようのパーツでベルトを一巻きしてホックで留めるようになっています。意外と感じよさそうですが、12kgの重さはこんなもので軽快になることはありませんでした。この次は肩にかかる重量が肩や首筋をギーンとのしかかり、ただただ耐えるしかなく、気持ち悪い気分になってくる始末です。
 家に到着するまでの2時間半はずーっと汗をかきっぱなしです。そして自宅に到着後の体重は私の通常平均体重より3kg減って44kgでした。
 普通なら即ビールとなるところを、水が飲みたいと思うくらい口が渇き、疲労していました。
 明日は荷物を軽くして走ろうと考えています。
2004年08月30日
 神保町のさかいやスポーツで、ゴアテックスのレインウェア(カッパ)を買ってきました。ゴアテックスの品質は現在ほぼ統一され、どこのメーカーも同じであり、デザインやカットの方式で着やすさ動きやすさに差を出しているということです。ゴアテックスというのは洗濯機で洗剤を入れて洗えるので、汚れたら洗ったほうが良いそうで、洗った後、新しいうちはそのまま乾かすだけでいいのだけれど、水を弾かなくなったら、防水スプレーをかけたほうがいいそうです。
 洗濯機で脱水は絶対しないほうがよく、もし脱水すると最悪洗濯機が壊れる可能性があるということです。基本的に水を通さないビニール系統は、脱水してはならないということです。
 買ったのはインターネットで検索したモンベルの2003年モデルです。前のほうで書いたように機能的な差があまりないのなら、値引率の高い旧モデルで十分だからです。
 インターネットで調べたさかいやスポーツの場所は、水道橋駅を出て東京ドームの反対方向へ広い道に沿っていけば簡単にわかるという感じでした。ところがいざ水道橋駅を降りて広い道に沿って歩いていっても、どこにあるのやらまったくわかりません。頼れるのは記憶だけ、散々歩いてふっと気づいた電話ボックス、タウンページがあるじゃないか、電柱に住所番地がついているし、と我ながらよく気がついたと思ったくらいです。電話帳に神保町2-47と載っていました。電話帳を調べるなら直接電話で場所を教えてもらえばいいと思うかもしれないけれど、そのときはまったく考え付かず住所を調べることに夢中になっていました。
 一号店はメイン通りの白山通りにあり、うっかり通り過ぎていたようです。そのほか2号店、3号店とグッズによって裏道に分散して存在します。看板が目につかなかったこと、日本大学の大きなビルがいくつかあり、さかいやスポーツが見つからないかもしれないと、焦りがあったのですが、見つけれてよかった。
2004年08月26日
 「東京から浜松まで東名高速で来るとき、あの人はほとんど止まらないの。」「止まってもトイレに寄るだけで店に入ることをしない人なのよ。」
 「ふぅーん」
 食品を大きなスーパーへ買いに行くと、野菜から肉、魚と見て回るうちにあれが安いこれが安いと、ついつい買いすぎてしまいます。今日の料理はこれ!と決めて買えば、安くなっていなくても短時間で余分なものを買わなくて済み、返って経済的かもしれません。
 新聞のチラシを見て、安いからと遠くまで車を走らせて買いに行くのも、時間の無駄と、ガソリン代で得が無いような気がします。
 パソコンが欲しいなあと思うと、新聞のチラシを毎日見て、実物をあっちこっちの電気店で確認し、何日も悩んでやっと買うのですが、本当にそんなに慎重になる必要があるのでしょうか?
 先に書いた人は、何か欲しい、必要だということになったら、行きつけの店で必要なものだけを短時間で買うのだろうと思いました。
 人生に時間を費やすところはわきまえていないと、毎日のことだからもったいない。時間はお金で買えないのですから。
2004年08月24日
 21日夜から爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳登山をして、今帰ってきたばかり。今とは22時です。
 曇りか雨のどちらかで、強風に何度も襲われ、帰ってきてこんなにホッとした登山は初めてです。
 しかし天気が悪くてもいい、また行かなければと、頭で考えるより気持ちがそっちの方に傾いています。
 完全にはまりそうな雰囲気です。
2004年08月17日
 志都呂のイオンへ行ってきました。開店してから2週間近くなるのですでに以前のような混雑は緩和されていると思っていたのですが、立体駐車場で長く待たされる羽目になってしまいました。
 そんなことよりも食料品は買いすぎないようにと決めていたのに、あれが安い、これが安いと、結局4千円以上にもなってしまいレジでビックリ!
 レシートを確認して納得しました。
 大きなスーパーは、あれこれ見て回るうちに買いすぎてしまうので注意が必要です。
2004年08月16日
 13日から15日にかけ立山を登山してきました。
 実は、肩が痛く、下痢が続く状態でも剣岳へ行きたかったので、切符の購入、食料の購入のあと自宅近くの内科へ行きました。ところがすでに閉まって、真っ暗闇になっているので急遽薬局で下痢止めを買い、肩が痛いのは我慢するから、下痢だけは止まってくれという気持ちで、その薬を飲み出かけることにしたのです。
 願いはかなって、下痢状態から開放されたことは非常によかったです。登山中にトイレは副うそうにあるものではないし、他の登山者も多く、そこら辺でチョッとというわけにもいきません。したがってそのことは大変助かったのですが、山小屋に到着すると同時に、寒くなり震えが止まらなくなってしまったのには困りました。
 一緒に同行した人が山小屋からカゼ薬を貰ってくれて、それを飲んだら暖かく寝られて快復し、翌日から山行を続けられました。
 その後以前から続いていた肩から首にかけて痛かった痛みも消えてしまい、結局以前からの体調不良はカゼだったようです。
 山小屋で貰ったカゼ薬は第一製薬の「ペラックかぜ薬」です。山行用、家庭用の常備薬にしたいと思います。
2004年08月11日
 肩から首にかけて痛くて痛くて、パソコンと同じで原因不明です。昨日から下痢も併発し悪いところだらけです。
2004年08月09日
 しばらく見れなかった自分のページがようやっと見れるようになりました。原因は分かりませんが、MSNツールバーのアンインストールとスパイウェアの除去をしたことによって回復しました。
 よかった、よかったと思うのと同時に、また再発するのではないかという危惧があります。まったく病気のようなものです。
 しかし、「Spybot」を使ってスパイウェアの摘発をしたら、5件もあったのには驚きました。その中でも「壁紙.com」にはもっとも厄介なものがあり、削除できません。困ったものです。
2004年08月05日
 インターネットエクスプローラがおかしくなってしまいました。「問題が発生したため・・・ご不便をおかけして申し訳ありません。」が頻発しページが見れません。
 異常になってもホットーメールは見れていました。初めはMSNホームも見れなくて、今は自分のページがまだ見れない状態です。かれこれもう1週間ぐらいになります。
 oleaut32.dll に原因があるよう表現をしていますが、きっかけはウィンドウズアップデートがあってからのような気がします。
 OS再インストールは絶対したくなく、代わりにIE6を再インストールしたいが、レジストリの変更など結構面倒くさいことがあるようです。
 何とか自然に回復しないだろうか。
2004年08月03日
 日本の夏はゆかたがいい。毎年毎年思っていても着ることなく夏が過ぎ去っていました。しかし今年はついに着ることができ、そして着てみるとやっぱり着心地がいい。
 インターネットで格安のゆかたを探し購入してみました。
 生地が薄く安物感が否めません。紙でできているんじゃないかというイメージです。
 通常は1万円から1万5千円くらいはしているのですが、私が購入したのは3,800円です。この値段なら今シーズンだけもってくれりゃいいやと思います。
2004年07月09日
 先週末にエアコンが壊れてすぐに買いに行ったのですが、工事できるのが一週間近く待たなければならなく暑い日々を我慢しました。今日はその工事が終わって取り付いているはず。
 会社から家に帰ると窓が開いて網戸になっている?
 今日はあまり暑くないのでエアコンをかけないのかなと思いました。家の裏にエアコンの室外機があるので、新しいのはどんなものか見にいくと、「ガーン」古いままです。久しぶりに大きなショックを受け落胆しました。
 要するに私の家の場合、お金が多くかかるので見積もりを出してよかったら工事しないと、一般的にあとでトラブルになるということで、今日は工事を中止してしまったのです。
 私の家は、配管が別の部屋を通って天井裏で屈曲して外へ出るので、面倒なことも分かっていましたが、配管を標準より2m伸ばした金額込みの見積もりで11,550円だから、それほど大きな金額でなく、暑くてしょうがないからどうでもいいから早くやってくれ、という気持ちです。
 連日35度の気温が続いていますが、今しばらく我慢しなければならない。
2004年06月12日
 本屋さんで花の百名山を買ったとき「速聴」のチラシが袋に入っていました。以前にも同じように入っていたことがあったけれど、今回は少し興味があったので調べてみました。
  速聴はいろいろな面で能力向上ができる
  HMに金額がいっさい表示されていない
  速聴機とソフトで百万円近くかかるらしい
  SSIの製品は音質がいい
  アイワで2倍速の製品がある
  効果は3倍速以上4倍速まで
 サンプルを聞いてみると、2倍速は聞き取れます。3倍速4倍速はぜんぜんダメです。しかし4倍速3倍速と遅くしていくと2倍速は聞き取りやすくなっていました。
 ゆっくりした話し方は、話の内容から他のことに考えが及び聞き逃すことが多くなるから、私が感じた「速聴」効果は「集中力が増すかもしれない」ということです。
2004年06月05日
 風もなく晴天でありながら暑くもなく、気持ちのいい朝でした。7時ごろジョギングしに天竜川へ行ってきました。すでに殿様バッタが活動を始め、カラスやすずめ、ムクドリが餌をついばみ、ツバメが低空を飛び交い、うぐいすの声、カッコウの声も聞こえました。そして河川敷のグラウンドには、体長30cm以上もありそうなカメが頭をいっぱいに伸ばして、川とは逆の方角に歩いていました。
 本当にのどかです。
 自宅に帰ってくると、近くの用水路にはカニが張り付いていて、丸々と太ったフナが流れにさからって泳いで行きました。
 初夏は生物たちの活動時期だと実感しました。
2004年06月03日
 佐世保の小六6女児殺害事件は連日の特集になっています。殺害原因はインターネットのチャットや掲示板への書き込みの内容だと言います。これについて小学生がインターネットを使うようになったこと、チャットや掲示板はルールを守らないといけないことなど、報道の仕方によっては小学生にインターネットは有害だ、チャットや掲示板を使わせることは良くないことだと受け取られるような感じがします。
 チャットや掲示板の書き込みによるトラブルは、相手が見えないことや、相手を中傷するなど、好き勝手なことを書き込んでも誰だか分かることがないという安心感があるから、だんだんエスカレートした発言になるのです。
 佐世保の事件は同級生であり知り合う中であることから、中傷した内容がそれこそ掲示板として、みんなに公表されたという思い込みが強くなったことが、原因とも考えられます。いったいどんな内容の書き込みがあったのか、一般的に考えて殺人までするほどのことなのか、興味があります。
 女性が強くなったと言われて久しく、今の女性は攻撃的になってきたとも言われるくらいで、「むかつく」「ふざけんじゃねえよ」という言葉を連発し、愛想がなく険しい顔で歩いている若い女性が多くなってきたことは気になります。
 インターネットはまだまだ新しいコミュニケーション手段として、ルールやマナーが確立されたものでないことは分かりますが、これを悪者にして、お終いにしてしまわないようにして欲しいと思います。
2004年05月30日
 ようやっとロードレースに出場できるようになりました。左足を痛めてから一ヶ月以上になります。27日に試走してみて、少し痛いけれど我慢できたので、出場を決断しました。
 今回は茶臼山高原走ろう会で愛知県で一番高い山「茶臼山」の茶臼山高原道路を下って上る折り返しコースのロードレースです。5km、10km、15kmのコースがあり、私は15kmに参加しました。完走できれば十分です。昨年、一昨年と歩いてしまったので、今回も歩いてしまってもしょうがないという気持ちでした。
 結局成績は昨年より悪くなってしまったのですが、歩かずに完走できたことが非常に嬉しかった。恒例の大抽選会で当らなかったことを差し引いても、完走できた喜びのほうが勝って十分満足ました。
2004年05月21日
何でも一生懸命やることです。
人に認められなくったっていいのです。
自分のことだから。
                       池坊保子

いい言葉だと思いました。
何のために一生懸命やるのか。
目的が人のためならならまだいい、人に認められたいためとなると、自分の主体性が失われてしまう。
価値観が自分になくなってしまって、自分の人生に重みを失ってしまう。
理屈をこねてると言葉の深みがなくなってきます。
2004年05月16日
 浜名クォーターマラソンは出場するかしないか当日まで迷って止めることにしました。朝小雨の中、足の状態を確認すべく家の周りを走ってみて10kmはとても走れないと感じたからです。
 参加費が高かったので参加賞を貰うため、会場である浜名湖競艇場まで出かけることにしました。
 駅のホームや電車にはロードレース参加するらしい雰囲気の人もいて、彼らには何か親しみが湧いてきます。新居駅は競艇場直結の改札口があり、傘はずっと先まで差さずに済みました。アップしている人が多く下を見て歩いているとぶつかりそうで少し気になります。
 受け付け終了時間が迫っていたので急ぐことにしました。今回の参加賞は小さな紺色のバッグで浜名クォーターマラソンと印刷されています。「がんばってください」と言って渡されたときは少し引け目を感じました。
 スタート風景を見てから帰ることにして、会場のショップを見ると白のランパンは1000円で色物は2000円で売られています。どちらもニューバランスで同じ物であるため、何か安くする要因があるにちがいありません。生地が薄いので透けるよう気もするので、たぶんそれが原因だと思います。この白いランパンは帰るつもりで一旦駅の近くまで行ったのを戻って買ってきました。
 いつもロードレースに参加する立場であるため、ゆっくりスタート風景を見ることがないのでちょうどいい機会でした。スタート時の先頭集団はバラケているときと違って迫力があります。あのスタミナをゴールまで持続できれば入賞できるのですが。
 今回は参加できなかったのですが、レース会場は活気があっていい刺激になります。天気がよければみんなが走っているのをのんびり眺めているのも楽しいだろうと思いました。
2004年05月09日
 オフィスから自分の机が無くなる。NHKの特集番組です。
 IT社会の仕事術は出社して自分のロッカーからパソコンを取り出し、社内の好みのテーブルを選びイスに腰掛け、ネットワークケーブルを接続して行うというものです。
 そのほかにも、社長以下全員が3ヶ月ごとにくじ引きをして配置替えをするというユニークなものから、営業社員は出社するにおよばず、といって朝自宅で指示などをメールで確認し、終業時にメール報告するというものを紹介していました。
 私の場合、机の引き出しと袖机にゴタゴタといろいろな物を入れてある割合に取り出して活用することがない。片付けてみようと引き出しを開けてみましたが、ノートはまだ空白のページがたくさんあるし、これは思い出がある、これは捨ててから必要になったら悔しいとなり、減らせたのは1割程度でした。
 番組で放送したように、個人の机を廃止するとなったらどうしよう。
2004年05月08日
 5日の豊田町の長藤マラソンはやっぱり参加できませんでした。左足の指先に近いところがランニング中に痛くなってしまうというのはよくある話かもしれません。しかし、しばらくは歩くのも苦痛で、今もって走れないなんて少し変な気がします。
 4月23日から既に2週間以上も過ぎているから、来週のロードレースも悪い予感がしてきました。
2004年05月04日
 ホスト系のコンピュータ・プログラムを作成するとき、既存のプログラムと似たような処理形態であると、コピーして別プログラムとして作成するときがあります。
 現行のプログラムに影響を与えないので安全である反面、改修要求があると倍の苦労になります。また、プログラム本数が膨らみ、要・不要が分からなくなります。要・不要についてはデータファイルのほうが深刻で、プログラムよりディスク容量を大きくとるし、消してしまうと再作成が困難です。
 要するに常日頃、プログラムやデータファイルを整理して一本に合体できるものは合体し、不要と思われるものはさっさと消去してしまったほうが、分かりやすいシステムになります。
 今、ホームページの作成で、ファイルがゴタゴタして整理がつかなくなっています。
2004年05月02日
 昨晩は友人の家で酒を飲み、寝たのは2時でした。いささか今日は調子が良くありません。奥さんが実家へ帰っていて、朝ごはんと味噌汁を友人が作ってくれました。男3人で朝食を食べる風景は異様な感じがしました。
2004年04月30日
 23日に走って帰ってくるとき、足を痛めてしまいました。今もって腫れが残っているので5月5日のロードレースを走れるかどうか心配です。
 最近はグルコサミンとサメ軟骨で膝が良くなってきていたので、調子に乗って張り切りすぎたようです。
 昔のように気持ちよく何時間も走れるようになりたい。ロードレースにのめりこめたい。嫌なことを忘れて自然の中を走りたい。知らないところを走りたい。
2004年04月14日
 耳に聞こえる音は普通なら自分の身体から離れたところから聞こえてきますが、耳鳴りの場合は耳鳴りのするほうの耳が音源になっています。
 音の聞こえる方向は二つある耳に音が届く速さの差で分かると思うのですが、上や下からの場合は差が無いので音の種類が経験から判断できるのではないかと思います。
 しかし、音速が331.5mだから頭の直径が20cmあったとして、6/10000秒となり、はたして生体神経が判断できるものだろうか?と疑問に思えるのですが、実際は判断できているのですから、動物の耳のセンサー機能と脳に繋がる神経の繊細さに驚きます。
 耳鳴りはその繊細さゆえに起こる弊害かもしれません。
2004年04月12日
 水曜日、金曜日は走って通勤、今日は自転車で通勤。あしたも天気が良ければ自転車で通勤したい。
 5月はすでに3つのロードレースにエントリーしました。また同僚の初レースで46分であったということを聞き発奮してきています。
 頑張るほどに腿の筋肉痛が無くなってくることは不思議です。
2004年03月28日
 昨日の夜、ソニー製テレビが突然バチッとなって電源が切れてしまいました。
 その後、電源投入を何回か試みたのですが無駄でした。周囲を調べても、ヒューズらしきものもなく、密閉された箱は素人の介入をきっぱりと拒絶しています。
 明日は日曜日で、サービスセンターも営業してないだろうから、月曜まで待つしかないと思いました。
 しかし今日の日曜日になって、電話したらもしかして誰かでるかも知れないと電話しました。そうしたら「この電話番号は現在使われておりません」という返事です。テレビを買ってもう5年になるので、移転していても不思議はありません。しかたがないので得意のインターネットでサービスセンターの場所と電話の調査をすることにしました。gooで“ソニー”“サービスステーション”を調べたのですがPDFのページが多くいい情報が得られません。次に“ソニー”“故障”で調べてみましたが同じでした。今度は検索サイトを変えてみることにしました。Googleでさきほどと同じ“ソニー”“故障”で検索をかけると「ソニーからのお知らせ」「... 無償で点検・修理をさせていただきたく」があり、開いてみると、「ソニー製カラーテレビ無償点検・修理のご案内」と書かれています。いろめきたった私はしっかり内容を確認すると、そこに掲載されている機種、製造時期、故障内容がそのまま当てはまります。
 あまりにピッタシで感動してしまいました。すぐに電話をすると要領得た回答で、火曜日に修理するということになりました。
 今回は余分な出費をせずに済み、インターネットが大変役に立ちました。
2004年03月25日
 NHK時代劇スペシャル「蝉しぐれ」が面白いです。以前に放送されたものの再放送です。私は始めて見るので新鮮に写りました。海坂藩、牧文四郎が幼少の頃から代官になるまでの物語を、7回に分けて放送しました。
 家老と藩士の関係は今の会社と似ています。大きな会社では一般社員から見た役員は雲の上で、いったいどんな仕事をしているのだろう?です。日産自動車で、成績の振るわない役員二人を更迭する人事を出し、楽でないことも確かです。
 能力も然ることながら努力が必要なことが分かります。悦楽に耽ったり、怠惰に流れたりしていて成れるものではありません。
 漫画のように突然認められて大抜擢なんていうようなことがあるような会社は、人間不信で直ぐに倒産します。またそんなことだけ期待している社員が多くなると、仕事が回らなくなってきます。
 時代劇と関係ない話になってしまいましたが、とにかく、実直、真剣に男親を尊敬して生きる文四郎に引き寄せられました。
2004年03月21日
 熱海湯らっくすマラソンに参加してきました。
 晴天です。
 受付が9:00まで
 5kmスタートが10:00
 12kmスタートが11:00
 サンビーチのスタート・ゴール地点が狭いためなのだと思うのですが、5kmが終わってから12kmがスタートになります。
 前日に時刻表を調べて、熱海駅8:34着のこだま号で行くことに決めました。しかし駅から会場まで受付に間に合うか、ずっと気になっていました。ところが会場のサンビーチには余裕で、8:43に着くことができ、取りこし苦労でした。
 受付が9:00までで、スタートが11:00からでは2時間もあり、待ち時間が長いことは欠点です。
 人気のストレッチ?はしっかりやったら疲れるので見ているだけにしました。天気がいいのに寒くて、日差しが熱く感じられるのに寒いという体調不良が少しあります。
 昨年と同じように、会社の上司二人も私と同じ12kmに参加してきました。顔見知りの年長者の参加は頼もしくもあり、自分への励みになります。会話の中で前回と同様、今年も55分台を目指します。と内心では思っていても、膝が痛いとか練習ができないとか言い訳ばかりが口に出ました。
 熱海はアップダウンの無い海岸沿いのフラットなコースです。有料道路を全面通行止めにしてあるため、大変走りやすいのですが、そのかわりに、応援者が少ないです。
 レースが始まって前半の折り返しまで28分、「え!、このままでは56分を超えてしまう」と焦りが出ます。しかし無理をして、後でペースダウンが来ることが間違いないことを何回も経験しているので、今のままのペースを維持し続けることにします。
 5kmコースの折り返し近くで救急車が来ました。また、事故が発生したのかと、ハイになって思考能力の衰えた頭脳が考えてます。自己責任だから仕方ないじゃないか。こういうことで大会が廃止にでもなってしまうと、ロードレース大会が消えていってしまう。といつも思っていることを考えました。
 ゴールするまで時計を見ずにいて、自分なりに頑張った自信があり、好記録を期待しました。しかし昨年より10秒ほどオーバーして55分48秒という結果で、往路より頑張った復路でしたが、あまりスピードが出ていなかったようです。55分台がまだキープできたので来年は55分を切る努力をしなければ、と気持ちは前向きになっていました。
 会社の上司二人は汗で光った顔をしており、気持ち良かったと大変満足していました。
2004年03月17日
 コンピュータシステムの開発・改修は、2,3日頑張れば完了できる程度のボリュームであれば先が見えているので、気が楽であります。
 今回は失敗でした。基本的な変更内容が大きな改修を伴わないと思っていたからです。改修内容が確定してからの参画で、それまでの打ち合わせに参加していなかったこともあり、まったく先を読み誤りました。
 ハードウェアなど、どうでもいいのです。いくら高価なハードがあっても、そこで動かすソフトが無ければ何にもなりません。会社にとってそのほうが大きな問題です。
 ほんとうに参ってしまいました。
2004年03月16日
 耳鳴りが昨日より大きくなってきました。カゼが原因であると思っていましたが、そればかりではないようです。体調が悪いと耳鳴りも大きくなりますが、体調が特別悪いような感じでもないのに大きな音がしています。
 耳鳴りとは実際に音がしてないのに、耳または脳で勝手に作り出している音だから、静かになると強調されて大きくなります。
 大きな騒音がするところに長くいて、そこから静かなところへ移ると耳に音が残りますが、私の場合はそんな音がしています。
2004年03月15日
 またカゼを引いてしまいました。先週末から喉が痛み始めていましたが、白菜キムチの食べすぎだと思っていました。しかし昨日から、からだの節々に痛みがでるようになってはじめてカゼであると認識しました。
 あのときがカゼの引きはじめの兆候だったんだ。今度はすぐに対処してひどくならないうちに治してしまおう。
 と、いつも思うのですが、喉もと過ぎれば・・・で、しばらくすると忘れてしまって、また繰り返しです。
2004年03月13日
 からだが非常に疲れています。横になると、「からだが鉛のように重たい」という言葉がぴったしです。この重さを実感しながら横になっていると、グーッと眠れそうです。
 しかし、それはまだ許されない時間。夕食前だから、いつものようにきちんと食べて元気にしている義務があります。
2004年03月02日
 去年ベストセラーになった養老孟司の「バカの壁」という本があります。「知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないとうことは、日常でよく目にすることです。」と書かれています。これと同じように、嫌いな人の話には耳をかさないというのもあるような気がしました。
 嫌いなら話さなければいいのですが、仕事上では最低限のことは話さなければなりません。また、そんな状況では話を悪い方へ悪い方へととらえるので悪循環になります。言った言わないの話も、もともとあまり優秀でない私たちにとっては、議論する価値も無いような気がしました。
2004年02月29日
 いつも行くガソリンスタンドが、新しくできる道のために営業を停止することになってしまいました。国道1号線の天竜川に架かる橋を、もう一つ増設するからです。
 私はここのスタンド以外で給油することはほとんど無かったので、非常に残念です。
 いつも入れているレギュラーガソリンが少なくなってきて、ハイオクをレギュラーの価格で入れることになってラッキーでした。また土日のティッシュペーパー1箱サービスもありました。
 最近はセルフが増えてきましたが、単価で1円安くても一回の給油で40円、50円しか違いません。それなら店員さんに入れてもらったほうがいいと思って、セルフへ行く気にはなれません。
 これからどこで給油しようか考えなければなりません。
2004年02月26日
 現在私が仕事をしているパソコンはパソコンラックにあり、上段の身長程の高さの位置に大きなプリンターがあります。ちょっとしたことでユラユラと揺れ非常に精神的な苦痛を受けています。不安定で危ないと指摘しても改善してくれません。交通事故以来いろいろな面で、少し危険に対し神経を使うようになりました。
 プリンター本体の重量が22.8kgでオプションが付いているので紙などを含め30kg近くあると思います。パソコンラックの対荷重が50kgでプリンターが30kgなら、まだ余裕が20kgあり大丈夫ですが、対荷重が30kgなら余裕がないのでちょっとしたことで落ちてくる可能性があります。
 しかしそんなことよりも、重量物をパソコンラックの上段に置いて何も感じない管理者の、安全に対する意識の低さが気になります。東海地震が叫ばれて家具の転倒防止などに注意を払わなければいけない時代に、あえて危険な状態を作り出しているのです。阪神淡路大地震の教訓が生かされていません。あの時は棚の上にあるテレビが飛んできたというのですから。事故が起これば施設管理に問題がなかったか、安全管理に問題がなかったかを問われてもしかたのないことだと思います。
 大きな石を吊った下で座禅を組む心境です。
2004年02月22日
 今日は杉の里ロードレース大会です。天竜市に入ると電柱にロードレース会場案内の立て看板が目立ちます。各所にあり、準備するスタッフの苦労が感じられます。初めてでも道に迷わないように、また多くの参加者に喜んで、満足してもらいたいという思いが感じられます。
 レース種目は5km、10km、21kmがあります。私は21kmを選びました。船明ダムの運動広場が会場で、そこがスタート、ゴールです。天候は曇り、昼過ぎから雨になるということです。
 駐車場が第5駐車場で非常に遠いところになってしまいました。去年は会場横の第1駐車場なので天国と地獄の開きがあります。早めに会場に着いても寒いだけと考え、8時50分の受付時間に間に合うようにゆっくり出かけることにしました。ところが山東に入ると車が渋滞し、本当に時間ぎりぎりになりそうです。第5駐車場は満車で100m先の第8へ行ってくれと言います。少しでも会場に近い方が歩く距離が短くなるので嬉しくなりました。
 駐車場には会場までのシャトルバスがいました。そんなこととは全く知らなかったので、駐車場が遠いことをずっと気にしていたからです。シャトルバスがあることが分かると、急にスタッフに好感が持てるようになります。バスを降りると、帰りのシャトルバスもあることが分かり、ますます気が楽になりました。何と言っても帰りは、走り終えて疲れて、足が痛くなっているのですから。
 今回は20回記念大会で、中山竹通さんがゲストランナーとして参加します。今日は雨になりそうでいやだなあと思ったこと、走っていて楽しいと思ったことはあまり無かったことなどを話していました。背が高くて難しそうな感じがしますが、サインやツーショットに快く応じていました。
 21kmのコースはまず船明ダムを渡って南下し塩見渡橋渡って北上します。そして会場横を通り過ぎ、天竜川の東側の道を熊と秋葉山の分岐まで行きます。ここの道にはトンネルが二つありますが、迂回する旧道が残っていて私達はそちらを走るので快適・安全です。しかしそのほかは迂回する道がなく、交通規制ができない幹線道のため、後方から来る車には非常に恐怖感があり気をつけなければなりません。
 10kmのラップタイムは約50分、このままイーブンで行けば1時間40分台でゴールできると調子が上がります。横山橋の手前が12km地点で約60分でした。キロ5分です。
 横山橋を渡って横山商店街を通るとすぐ左折し、今度は天竜川の西側を南下します。天竜川の東側の道は割合に平坦だったのですが、西側には大きなアップダウンが二つあります。
 大歓声の中(すごく大げさ、でもスタッフをはじめ沿道の応援の皆さんは、中日新聞の旗を振って大きな声で応援してくれる人達が多い)を過ぎるとすぐに一つ目の長い登りになります。年配ランナーは登りで頑張りすぎてバテることが多いらしいので、できるだけ頑張らないように自重して走ることにしました。ピークを過ぎると急な下り坂になり、また少し登って下ると漕艇場の平坦なコースになります。
 しかしすでに私のエネルギーは枯渇し、疲労困憊状態に陥っていました。後ろから来るランナーに次々に抜かれ、雨も降り出して雨粒が汗を溶かして目に入ります。立ち止まる口実ができたので、歩きながらウェストバッグからハンカチを取り出して顔を拭きました。
 去年と同じだ。一時間50分は切れない。いやもうそんなことはどうでもいい、完走しなければ!
 漕艇場を過ぎると二つ目の大きな登りになります。気力は失せてきたきたけれど、なんとかゴールまでたどり着かねばという思いだけはありました。
 19km地点を過ぎてしばらくするともう走れなくなり、歩き出しました。しかし、前方を見ると20mぐらいのところにエイドステーションがあり、ランナーを応援しています。気が付かなくて、タイミングが悪いところで歩いてしまったと思いながら、水を貰うことにしました。バナナやパンもありましたがとても食べる気になりません。紙コップと一緒にパンがいくつか捨てられていました。口にしてみたけれど、とても喉に通らなくてやむなく捨てたのだと思います。
 フルマラソンで経験したことがあります。途中の栄養補給にとカロリーメートを持っていって食べたら、むせったくてむせったくて口の中はいつまでも粉の状態でした。ブブーとやれば口から粉が出ます。噛んで噛んでようやっと練り状になった物を飲み込みました。レースに乾き物はタブーです。ただし飴はOK。
 エイドステーションの女性がエアーサロンパスを勧めてくれたので、腿に吹きかけ頑張ることにしました。残りの距離は1kmちょっと。最後の橋を渡ればすぐゴールだ。
 エアーサロンパスの効果で足が軽くなったような気がしました。しかし橋上から見る船明ダムは遥か彼方です。しかしこつこつ走ればゴールできる。しかしすぐに頑張ると思ったことを訂正して、頑張らなくてもいい、ゴールできればいいことに考えを変更しました。しかししかしの連続です。
 また走れなくなり歩き出しました。対向車が繋がっていました。あまり車が多いので「もしかしたら知人がいるかもしれない」「歩いているところを見られたら冷やかされる」バスも来るし、気力振り絞って走りました。
 会場まであと少し、スタッフが「ラスト、ラスト、頑張ってください」と叫んでいます。つらい。私には「ラスト、ラストよく頑張りました、あと少しですから、歩いてもいいですよ」と言って欲しい。
 1時間55分11秒、これが今回の記録になりました。2時間を切れたのを幸いとしなければなりません。途中でハーフマラソンはもう出れない、出ないと何回も思いました。フルマラソンをもう一度などという考えは幻となってしまいました。中山さんの言葉に共感を覚えます。雨は本降りです。
 最後に傘のトラブルがありました。初めて使う折りたたみ式傘の柄がスッーと抜け、させれないのです。商店のイベントで貰った傘です。タダくれる傘には注意しなければなりません。傘を貰うために高い買い物、不必要な物を買ったりしたら本末転倒です。傘はいらないけれど、くれるなら貰うということにしたいと思います。
 どうやったらさせるのか、いろいろ傘と格闘したのですが、結局手で押さえて半開きのままシャトルバスの乗り場まで行くことになりました。
 現在、その傘は玄関にうっちゃってあります。傘立てに入れる資格はありませんから。 
2004年02月19日
 昨日の朝、引き戸に左足の小指をぶつけて大変痛い思いをしました。足や膝を壁や戸にぶつけることはたまにはあるもので、たいがいその場限りの痛みで終わります。
 今回もそんなものだと思って楽観していたのですが、夕方になって少し痛みだし、夜はたびたび目を覚ますほどです。それで今日は会社で一日中かばって歩いていました。また靴下を脱ぎました。フロアが冷たいので腫れた左足の小指が気持ちいいのです。
 しかし泣き面に蜂とはこのことです。帰りにイスの脚に、左足の小指をまたぶつけてしまいました。痛いやら悔しいやら情けないやら、この愚かしさにいやになってしまいました。
 日曜日のロードレースは走れないかもしれない。
2004年02月14日
 ファイアウォールのZoneAlarmとウィルスソフトのAVGの設定ができました。いづれも無料ソフトですが、英語版なので“ちんぷんかんぷん”です。
 ZoneAlarmは日本語化キットがあります。しかし今回ダウンロードしたのとバージョンが随分違っているので、適用するのを見合わせることにしました。とりあえず動いているので満足しています。
2004年02月12日
 体力が少し回復し若返ってきて、スーパーひさまっちゃんに戻りつつあったと思っていた矢先、突然の下痢から始まってまたカゼに罹ってしまいました。
 今朝は起きるとすぐ腹筋を100回やり、どんぶり一杯のご飯を食べました。そして出勤し、体操を元気にやって、いつもの難題に取り掛かるまではよかったのです。 9時頃からお腹の調子が変になってトイレへ行き始めると、次にまたすぐ行きたくなり下痢の始まりです。
 下痢には「正露丸」です。「正露丸」を飲んでからも何回かトイレに通いましたが、昼頃には随分良くなってきて弁当が食べられほどになりました。しかし今度は寒気がしてきて熱があるような感じです。
 去年はインフルエンザで苦い思いをした経験から、市販のカゼ薬で治そうとすると長引いて重症になるかもしれないと思って早めに医者に行くことにしました。結果は普通のカゼだということでよかったです。
 経過  9時頃から下痢→「正露丸」服用→お弁当→「正露丸」服用→寒気→15時頃「葛根湯」服用→口の渇き→17時半医者へ
2004年02月01日
 昨日はたどり着けなかったタイラ沢の大滝へ、再度行くことにしました。事前調査は万全と自身があったのですが、実際の道路状況は全くの不案内で曲がり角がさっぱり分かりませんでした。ずるずると昨日走った道をたどってしまい、地区の案内標識によると、どうしても戻らなければ行けないようでした。しかたなく引き返し、いくつかの曲がり角を通り過ぎて、登山道の標識を見つけたので曲がることにしました。急坂で道が細く車のすれ違いはかなり厳しい状況で、いくつかの民家を過ぎると民家のない山中へ入りました。間違っていても間違っていなくても、確信が無ければ前に進む以外に方法がありません。行き止まりにならないことを願いながらかなり走ると、真新しいタイラ沢の大滝の案内標識を見つけ大変嬉しく感激しました。
 現地には既に5台の車が止まっていました。そこの案内説明にはここから300m先に滝があると書いてありました。そして道路沿いに歩いていく人がいたし、後からきた車も通り過ぎて行ったことから、この先の道路沿いに滝があると思いました。そういうことなら我々も行けるところまで行ってみようと、車で行くことにしました。しかし少し坂を登るとすぐ下りになり、道に雪が残っているし、滝があるような雰囲気がまったくなくなりました。案内看板まで引き返してみると、丁度そこの奥からおばさんたちが数人出てきたので分かりました。いいタイミングでした。原因は車2台が滝への道を隠していました。
 遊歩道は水の少ない渓流を3回横切らなければならず、増水時は滝まで行けないように思いました。滝は日陰で暗く大きな一枚岩でできているようにみえます。縦横5mくらいの大きさです。氷は大分融けていました。滝つぼの水は氷より冷たく感じます。氷結したときにもう一度行ってみたいと思いました。
 デジカメで写真を何枚も撮ったのですが、メディアエラーで全部ダメになってしまい非常に残念です。
 帰り道はおおよその見当で南西方向に車を走らせると(ほとんど一本道)、なんと「アクティ森」があったのでビックリです。掛川方面からの説明は、第二東名の工事でややこしくなってしまうので、森町方面からのほうが分かりやすく、
     まず「アクティ森」を目指します
     次に「嵯塚」の大きな道路標識を見つけ左に曲がります
     あとは道なりに進むだけです
浜松市から片道40〜45kmくらいです。
 山中のあちこっちにゴミ投棄禁止の看板があり、こんな山奥にゴミを捨てにくる輩がいることに驚き、モラルの低下、環境破壊を痛切に感じました。
 これは行政への働きかけとか、罰則を厳しくするということでなしに、国民にモラルを持ってもらうことが一番重要なことだと思いました。
2004年01月31日
 掛川の山奥にある、タイラ沢の大滝を目指して車を走らせました。カーナビは無く、詳細な地図もないけれど、いつものように何とかなるだろうと高をくくったのが間違いでした。
 掛川バイパスを大池で降りて、森町の方角へある程度走ってから、右折したところまでは正解でした。ところがそこから左折するところが分からず、かなり東へ行ってしまいました。
 県道39号線を北上し、法泉寺温泉を通過し、ならここの湯というへんてこりんな名前の日帰り温泉も通過し、山中を走りまくって帰ってきました。
 家に帰ってきて地図を調べると、方向性はよく目的地にかなり近づいていたのですが、山を一つ隔てたところで道が無いようでした。
 結局目的を果たせなかったので、残念です。
2004年01月27日
 テレビを見ていても何を言っているのか分からない。何を歌っているのか分からない。下のほうに字が出るから分かると言う。
 母親が弱って行くのを見るのが寂しい。コタツから立ち上がるときもあっちこっちに手を掛け大丈夫か確認し、一番いい体勢をとって、何回も反動をつけて立ちあがる。
 そんな苦労をしながらでも食事から洗濯まで家のことは全部してくれます。朝は4時半位には起きて、朝食はもとより私の弁当まで作ります。
 たびたび胸がえらいと言うことはあっても、家のことをするのに“つらい”とは言わない。
 だから私も積極的に協力しようと手伝いますが、「そんなことはもうしなくていいよ」とまでは言えない。
 それはいつまでも、今までどおり元気に働く母を見ていたいから。83歳になって目、耳、腰痛などに苦しみながらも、身体を動かしてくれる母を本当にありがたいと思います。
2004年01月26日
 今月になって入社同期が二人も亡くなりました。43歳と50歳です。あっけない死に際して自分の生き方も見直さなければならないと感じます。
 何をしていても時間がたち、年が過ぎ去っていきます。過去を振り返ると去年は何をしたのか、一昨年は、その前は。
 一年は365日もあるのに、記憶にとどめたいようなことがほとんど思い出せません。思い出せないというより、何も結果を出していないし、思い出すほどのことを何もしていなかったからです。
 日が昇り、日が沈む、何事もなくそんなふうに日が過ぎていくことはすばらしいことだ。という心境になれば、何かしなくてはと考えたり、あせったりしなくていいのですが。
2004年01月25日
 12kmをジョギングしたのに、膝痛が起こらなかったので嬉しくなってしまいます。
去年の正月から気になっていて、今年の正月はいよいよ走れなくなってしまうのかとも思うほどでした。
 しかしグルコサミンなど3点で、「膝、腰痛、関節痛100% セット」として販売しているサプリメントを飲むようになってから膝が痛いと感じることがなくなりました。
「グルコサミン」「サメ軟骨」「キャッツクロー」の3種類で「食品由来原料100%無添加」の謳い文句の製品です。
 飲み始めてまだ期間が浅いので、また痛みが出るかもしれないけれど、最近は膝痛をこれらサプリメントで治している人が多くいるようです。副作用が無いので安心でもあります。
2004年01月23日
 昨日、シュラフを買いました。値段もさる事ながら買ってムダになってはいけないと慎重に選びました。耐寒温度から値段、大きさ、重さが選択するときの主な要素になると思います。
 私が買ったのは名古屋駅前アルプスブランドになっているもので、-30℃、1150gで22800円でした。そして、これにマットとシュラフカバーを付けたので、総額では37000円です。
 マットは以前からあるスポンジと最近出てきたエアーマットがあり、エアータイプは小さくコンパクトになるのでかさばらなくて最近人気があるようです。値段が高いけど当然エアーマットを選びました。
 シュラフカバーはゴアテックスと、ゴアテックス以外の透湿性素材のものがあります。ゴアテックスが倍近く値段が高いのでゴアテックス以外のものにしました。シュラフカバーは透湿性が重要で、汗でシュラフが湿ると凍りつくそうです。寝てから暑くなって汗をかき、それが凍ると今度は寒くなると言うわけです。
 シュラフはとにかく絶対に寒くないものをという考えでいました。たとえ夏でも足だけ入れて寝れば使えると思ったからです。この考え方が間違っているのかどうかが、今の疑問点です。しかし夏はやっぱり3シーズンか5シーズンが正解のような感じです。
 店員さんは私がど素人と分かったようでいろいろと説明してくれます。シュラフのしまい方も小さくして袋に入れておくのではなく、出してかけておいたほうがいいということです。持って行くときはたたんで袋に入れるのは大変だから、シュラフの足の方から袋に直接押し込んでいけば簡単に入るということです。出すときも出しやすそうです。
 名古屋の駅前アルプスの店員は、行き届いた説明をするので私のお気に入りになっています。
 昨晩はこのシュラフをさっそく使ってみました。足を入れると温かみがあり、いつものアンカが無くても暖かく感動ものでした。でもちょっと暑すぎる感じもしたけど、家の中だからかな?
2004年01月16日
 サプリメントの「グルコサミン」と「サメ軟骨」「キャッツクロー」を飲んだら、心臓の心拍数がいつもより多くなっています。関節痛に効くからということで初めて飲んでみたのですが心配です。
 明日の天気は良くありません。雨になるらしいけど雪のほうがいい。雪は地表のゴミをみんな隠してきれいになったように感じるから。
2004年01月15日
 眼科へ行って、法多山へ行って、ラーメン食べて、いも工房へ行って、御前崎のナブラ市場へ行って帰ってきたら5時を回ってしまいました。
 あっちこっち行って忙しかったなあ、しかし、車を運転している時間の方が長かったなあ、人生も今日と同じで、無駄と思える時間のほうが多いのだ。
2004年01月14日
 労金で行っている懸賞が今回から、当選者の発表をプライバシーの観点から発表しないことになりました。当選者の発表がなぜプライバシーに関わるのかよく分かりません。地名と住所を表示することがプライバシーに関わるなら、電話帳はどうなるのか、また労金だからいけないのかはっきりしません。
 氏名を発表されることでプライバシーを侵害されると気にするなら、懸賞に応募しなければいいと思います。
 「当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます」というのは、昔から何かうさん臭さを感じさせました。当選者は主催者が賞品を発送したことが分からないし、発送したものが途中で紛失しても分からない。
 懸賞というものは私にとって、賞品よりも当選することそのこと自体に楽しみを抱いている部分が多くあって、賞品が届くより発表された紙面を見ることのほうが、嬉しく思うことが多くありました。
 「プライバシーの観点」ということの本音を知りたいと思います。
2004年01月10日
 昨日6本爪のアイゼンを買ってきました。KAJITAXのFB−6です。スノープレートは別売りなので7千円くらいになってしまい、安くありませんでした。アイゼンは靴にフィットさせるためにいろいろなサイズがあるので事前に調べておかなければなりません。適当に買ってくると無駄な投資になりかねません。
 バンド式のアイゼンが付けられるか
 ビンディング式のアイゼンが付けられるか
 爪の数は幾つにするか
 最初は何も分からなくて6本爪を買ってしまったのですが、やっぱり8本爪のほうがよかったのかなあという思いもあります。
 アイゼンが5850円、アンチスノープレートが1530円で合計7380円でした。
 しかし買ってしまったのだから、使い方を確認しておこうと、天竜川へ訓練をかねて装着テストをしに行くことにしました。手袋をはめたままアイゼンが付けられれば合格のようです。はたして付けられるのだろうか?
 バンドの留め方に手こずりましたが、何とか取り付けられたので、さっそく歩行テストにはいりました。10mくらい歩いて装着具合をみると、バンドは緩くなり、バンドの端もだらしなく垂れ下がって外れています。
 「そうか。アイゼンは着けて少し歩いたら、装着具合を確認しなければいけないんだ」とかなり自分に説得力のある発見をしたように満足しました。
 再度取り付け、歩行、取り外しの訓練をしました。雪山でいきなり本番というのは危険だ、ということを悟った(本人の思い込みかも)ことは収穫でした。
2004年01月09日
 中性脂肪の多さがマラソンの成績とリンクしているということが、2月号のランナーズに載っていました。
 私の場合人間ドックでは、2000年から2003年まで41、56、58、50、と測定されました。基準値内に収まっていても、マラソンを走りきるには少なすぎる値です。
 ランニングしていて15km付近になると、急激に疲労感がでて、体力不足を感じます。そうなるともうダメです。5秒や10秒ならまだしも、何十分も根性で走れるものではありません。
 年末のQちゃんの失速も体力不足です。故障もしていないのに急に力が出なくなるのは、中性脂肪が少ないとか炭水化物が少ないからで、グリコーゲンの元となる養分の蓄積がないからです。
 ということで今日の晩ご飯のおかずは焼肉にしよう。
2004年01月08日
 正月前からの風邪がようやく治りかけてきました。その代わり、83歳になる母親に移してしまったので心配です。始めは喉が痛くなり、痰が絡む症状が長く続きました。頭痛、悪寒、関節痛などがないので、比較的軽症でしたが、治りが遅く長引きました。
 始め、夜になって喉に少し差し込むような感じがあり、「ウッ」変だ、風邪を引くかもしれないと思って、すぐに風邪薬を飲みました。それまで何も感じなかったので、薬を飲むのにこれ以上のグッドタイミングはないはずです。しかし翌朝になっても治っていなくて、下痢までする状態になりました。
 「これじゃ下痢止めが入っている風邪薬が必要だ」ということで調べたところ、総合感冒薬は基本的に下痢止めは配合されていないということがわかり、正露丸を併用することにしました。これで下痢はすぐ治りました。正露丸が下痢止めとしてこれほど効果があることを知らなかったので、認識を改めました。しかし根本問題の風邪は相変わらずです。「コルゲンET錠」「葛根湯」「パブロンS」といろいろ試したけれど、決め手となりませんでした。喉飴、栄養ドリンクも、気休めでしかありませんでした。
 結局、日が過ぎて治ったようです。
2004年01月03日
 天竜川の河口ツバメを見ました。3羽が低空で堤防を行ったり来たり、風の強さをものともせず飛行していました。本当にツバメがもう飛来してくるのか、ちょっと疑わしいのですが、風に向かって西へ飛ぶときに見た尾は二つに割れており、ツバメに間違いないと思いました。
 飛ぶに速くてぶつかってきそうで怖い感じがするのですが、そんなミスをツバメくんはしないでしょう。
2004年01月01日
 年頭にあたって今年の目標を決めないといけませんね。年齢を重ねると、それだけ自分に歴史ができます。若いときは当然過去がないので将来、未来に興味を持つのですが、年を取ると自分の力量や能力、可能性が分かってくるので、行動にチャレンジ性がなくなってきます。
 自分史として残るようなことが目標にできればいいのですが、そのようなことはできそうにありません。したがって、とりあえず情報処理の資格試験に今年も取り組むことにします。
 年を取れば取るほど、一年の過ぎ去る時間が短く感じるようになります。日々の数十分から数時間がいかに大事であるか、分かっていながら何もできなくて無為に過ごしてしまわないようにしたいと思います。
2003年12月22日
 駅に着いたら今度の電車は11時47分でした。40分も待つなら、歩いて天竜川駅まで行けば着いちゃうじゃないかと、このときは、40分が非常に長く思えて、さっさと歩き出し、翌日は出勤だから疲れて起きれなかったらどうしよう。いや、酔いが醒めて明日まで残らないから大丈夫と考えたり、運動不足解消にちょうど良かったのだと自分に言い聞かせながら歩きました。
 ところどころ走ったりして一生懸命歩いたのですが、結局、待って電車に乗ったのと同じくらいの時間になりました。
2003年12月16日
 夜中の10時から始まる秋葉山の火祭りへ行ってきました。天気が良かったので空はプラネタリウムのように星だらけです。
 9時45分から手筒花火の奉納、10時から本殿で神様にお供え物を上げ、神楽殿で「弓の舞」「剣の舞」「火の舞」を奉納し、最後に神様のお供え物を下げて終わりました。
 古式にのっとった儀式で、厳かとか、格式とか何百年も続いてきた重みが感じられます。
 現代は科学が発達してとか言って、200年ぐらい前はまだ古代で霊や慣わしの世界であったように思われます。しかし、人間そのものの能力が特別高くなったり、死ななくなったり、道具なしで空を飛んだり、海に潜れるようになったわけではないので、本質的な哲学的な思考能力は昔も今も変わらないと思えば、今後も火祭りの儀式は続いていくのだろうと思います。
 とにかく寒くて冷たくて震えが止まらず、足の裏は冷たさで痺れがきました。
2003年12月13日
 秋葉山を登山しました。秋葉山は昔からの歩いて登る登山道と、自動車で登れる道があります。今回は久しぶりに歩いて登りました。昔登った記憶では道幅がもっと狭かったような気がします。
 秋葉山は火防の神様で有名ですが、秋葉山でも火がつきゃ燃えると言われるように、自然界の火は神様でもコントロールできないようです。
 火の用心は神様に頼るより、自分で気をつけましょう。
2003年12月09日
 自衛隊のイラク派遣が閣議決定されました。
 日本を取り巻く情勢から自衛隊派遣は仕方がないのか?
 日本は国際協調を図ると言いながら、お金だけ出せばいいという状況ではなくなったと言います。それでは武装した自衛隊でなく民間人でもいいのではないか。しかし武器を持たない大使が殺されたのでは、政府として民間人を派遣することはできないでしょう。
 世界で日本が経済活動するためには、自衛隊を派遣することが必要なのでしょうか?
 地域生活するためには自治会活動にいやでも参加しなければならないことはあると思います。それと同じように日本が世界で活動するためには、それにみあった貢献もしなければならないのかもしれません。
 公明党の慎重にも慎重に、ということが頷けます。
 本当は宗教戦争で、キリスト教がイスラム教を攻撃しているのです。布教活動の足がかりを作りたいのです。
 しかし、自爆テロが減るのでしょうか?
2003年12月07日
 9時にマーケットの朝市へ出かけ、部屋の掃除をし、10時半からジョギングをして、午後3時からは、宅急便で送られてきたワカメを、親戚へ配りました。最後に、来年の年賀状をパソコンで作ろうと、少し手がけただけで夕ご飯になりました。
 今日は忙しい一日だと思っていたのに、たったこれだけ!
 NHKの「武蔵」がやっと最終回です。来年は「新撰組」で、いまや歴史本は新撰組に人気があるようです。
2003年12月03日
 昇進するために、試験を受けなければならないという制度にしている会社は世間に多いのでしょうか?
 昇進試験を実施するということは、社員に疑問を抱かせるような問題を出してはいけないし、結果として信頼のないものにならないようにしなければなりません。したがって、それなりの準備と時間とノウハウが必要になります。またそのため、社内に数名の優秀な昇進試験担当も設置しなければなりません。 だから官公庁や大企業しか実施していないと思います。
 私の会社はこの昇進試験があり、系統別に分けたなかで、事務系、技術系でおこなわれます。
 ところがこの試験は現業だけで、非現業では行われない。つまり、非現業は試験なしで昇進していきます。何とも片手落ちの制度であると思うのですが、ここは屁理屈でも何でもこのようにしておかないと、会社としては都合が悪いのだと思います。
 今日は組合の対話集会があり、そのときの質問でTさんが、上司に「事務系の昇進試験は定数に空きがないので合格者が無い」ということを言われたことについて、真偽を確かめたのですが、それはここだけの問題ではない、と組合役員が答弁していました。
 今、まわりの現状をみると、事務系では殆どが非現業へ転勤している間に昇進しています。
 私は受けたり受けなかったりで、いい加減な気持ちなので、どうでもいいのですが、今回の対話集会で、非現業への転勤が昇進条件だと確信しました。
 試験は刺激があって、頭のトレーニングになって好きですが、それでも今回の話で、希望のないものに取り組むような感じで空しくて、会社の昇進試験は「もういいや」と思ってしまいました。
2003年11月23日
 今日のNHKスペシャルは「松井秀喜」でした。松井は野球選手としてだけでなく、人間的にも優秀であることを教えてくれました。
 まず、中学二年生のときから、人の悪口を一度も言ったことがないそうです。なぜ中学二年生からなのかというと、お父さんとの約束だからです。
 心臓移植のために渡米するのに200万円の寄付、「松井ホームラン基金」からは、今までに2000万以上。そして里親。いじめ相談とかずかずの善行をしています。
 巨人軍入団のときの記者会見では、「子供達に夢を与えたい」と言い、他の新人が先輩選手の名をあげたり、成績目標を出したりしていたことと、違いを見せていました。
 試合においても「巨人戦のチケットはなかなか手に入らない、しかしたまたま手に入ったチケットで見に来ている子供達がいるかもしれない」だから集中して、真剣に試合に望むということです。
 練習については「僕は不器用だから、人一倍練習しないとついていけない」と謙遜ぎみですが、一流とはこういうことなのだと。
 自分ひとりの力と体力と知恵と努力で生きる。ことが基本であり、チームワークは一人ひとりの一生懸命なプレーで、できあがるものだと思いました。
 最後に松井がヤンキース入団の記者会見で「命を懸けて頑張りたい」と言った言葉に、松井を密着取材した伊集院静が、この若さで命を懸ける仕事を見出した人は何人いるだろうか、というようなことを言っていました。
2003年11月20日
 日曜日の夜から続いている背骨の痛みは、昨晩からわき腹の肋骨に移り、肝臓のあたりへと変わってきました。
 朝から頭が痛かったのは天気が悪いからと思っていたのですが、ふっと風邪のような気がして、考えてみると、骨を痛めた箇所や筋肉痛の箇所が移動することは不自然であります。
 私が会社に置いてあるはずの風邪薬を探し回ると、ベンザが一回分ありました。せき、鼻水と書いてありましたが、夜中に飲んだ大田胃酸やアリナミンEXより効き目がありそうでした。
 飲んだ結果、しばらくして頭痛はなくなり、肋骨の痛みも今は消えています。
 はたして今晩はぐっすり寝ることができるのだろうか???
2003年11月18日
おたまじゃくしは蛙になる。
蛙は卵を産む。
卵は孵化しておたまじゃくしになる。
これはリサイクルでしょうか?
だったら、人間もリサイクルだー。
2003年11月17日
 背骨が痛いなんて初めてです。昨日の夜10時ごろから少し異変を感じ、段々と痛みに変わってきました。お風呂に入って温まって寝れば良くなると思っていたのに、上を向いて寝ることが、できなくなってしまいました。横を向いて丸くなれば、何とか我慢できるけれど、何回か起きあがって布団の上に座っていなければならなくなりました。それで母が使っているシップ薬を貼りました。
・寝ることができないので、原因を考えました。
・とろろ芋でいつになくご飯を沢山食べたこと。
・缶ビールも500ccを2本飲んだから、いつもより多かったこと。
・土曜日に登山して全身が疲れていたこと。
・3時ごろからしたランニングに、いつになく力を入れたこと。
・食事前にカルシウム剤のカルバイタルをお茶で飲んだこと。もしかしてお茶とカルシウムは食い合わせになるかもしれない。
 原因がわからない。
背骨の痛みはわき腹へも広がってきました。息をするにも痛い。これ以上痛くなるようなら救急車を呼ばなければならないと思いました。
 痛みは変化しました。肝臓のあたりが痛いので、背骨じゃなくて本当は肝臓が悪いのかもしれない。しかし肝臓は沈黙の臓器だから、こんな急に痛くなるはずがない。
 交通事故であばら骨が折れているから、その後遺症で背骨の神経があばら骨に痛みを出しているのだ。とも考えました。
 でも肝臓より胃腸が痛い気がします。胃潰瘍か、十二指腸潰瘍か、腸ねん転か。始めの背骨の痛みは内蔵が悪いからだと思い込み始めてきました。太田胃酸を飲むことにしました。
 それから我慢して少し横になったのですが、また起きて座るということを何回か繰り返しました。
 明日の出勤は大丈夫だろうか。神仏にもお願いしました。
 いろいろ考えました。しかし、確かに始めは背骨が痛かったことを思い出します。
 トイレへも行きました。そうすると少し楽になるので、やっぱり胃腸も原因から外せない。
 そうこうしているうちに、一番疑わしいことを思い出しました。それはランニングを終えて、いろいろと屈伸をしたうちの、アキレス腱を伸ばす動作でした。
 ブロックの石を押す格好で、アキレス腱を伸ばしたのです。それも絶対に動かない大きなコンクリートブロックを、動かしてやろうと力一杯押しました。
 これなら背骨を傷めるかもしれない。いやこれは絶対背骨を傷める。と今はこれが原因だと決め付けています。
 救急車を呼ばなくても朝が迎えられてほっとしました。
 母親に余計なことを言うと心配するから、何事もなかったように昨晩のことは黙って出勤しました。
 しかし、まだ痛い。
2003年11月16日
 グリーンハウスのピコショットは007のアイテムだと思いました。小型軽量でいったい何を撮るのか。
私が考えられることは悪いことばかりです。、はっきりカメラと分かるもので撮れないものを撮るための道具と考えてしまうからです。小型軽量ということで、ポケットにヒョイと入れておけば、もしかして犯罪に遭遇したときには役にたつかもしれないという利点は考えられます。
 カメラつき携帯電話が一般的になっているから不要です。しかし、あれば便利です。
2003年11月15日
 今日は4人で丹沢の塔ノ岳を登山しました。
2003年11月12日
  私の母は耳鳴りがするということで、昔からあっちこっちの耳鼻科へいっています。それで最近処方された薬に「メデタックス錠」があり、これを調べると「精神安定剤」らしいのです。
 また昔から心臓が悪いと思い込んでいるようで、本当のところはどこが悪いのか分かりませんが、胸がえらくなるということらしいです。それで医院へ行って処方された薬は「ニコランマート錠」という狭心症の薬です。
 いづれも高齢者には注意が必要とされるもので、80歳を超える母には飲ませないほうがいいと思いました。
 病気で医者へ行ったときに、どんな薬が処方されるのか。最近は薬の内容が印刷されたものを一緒に渡すところが増えてきています。しかし、そういうところばかりじゃないので、自分で調べる必要があると思います。
 医者と患者とのコミュニケーションは必ずしも十分にできるとは限らないので、不要な薬が出される可能性もあり、副作用を考えると、やっぱり調べる方がいいと思いました。
 現在は、インターネットで簡単に調査できる便利な時代になりました。
2003年11月09日
 6時5分浜松発の東海道線に乗って大府シティ健康マラソンへ行ってきました。ロードレースの受付時間は8時から9時のあいだになっていて、まだ早いのですが7時24分に大府駅に到着しました。超余裕のスケジュールにするのは、くつろいで座席に座りたいことと、途中でトイレに行きたくなったときに下車しても、受付時間に間に合うようにするためです。またこの時間ならば、乗換えも少なくてすみます。
 余裕のスケジュールは精神的にも余裕ができます。そしてこのときも、やっぱりトイレへ行きたくなったのですが、豊橋で11分の停車時間があって、その間に済ませることができたのは幸運でした。しかし特別快速が11分も停車するのは、新幹線があるといっても気になることです。
 計画の定時刻に大府駅へ到着でき、会場までゆっくり歩いても受付は始まっていないと思いきや、始まっていました。
 とりあえず、体育館の窓際にシートを敷いて自分のテリトリーを確保し、それから受付をすることにしました。
 今年の参加賞はシューズ袋に、タオルです。参加費が安いので仕方のないことです。後は閉会式後の抽選会に期待するのみです。
 8時半を過ぎると、ガラガラだった体育館の床の隙間がなくなってきました。しかし人が多くなってきても、周りを見渡したり、大会プログラムを見ても誰も知っている人はいませんでした。
 知人と一緒の場合は、いつもの生活の延長線上にいるので新鮮味が無いのですが、一人きりというのは、精神的な緊張と開放感と新たな出会いが期待できる複雑な感覚になります。
 体育館のなかに衣類預かり所があることは知りませんでした。ロードレースに貴重品は持っていかないようにしているので、盗まれても大したことはありません。しかし、いくら安い衣類であっても、無くなるとレース中の服装で帰る破目になるし、以前雑誌でそのような記事を読んだことがあるので注意しなければいけません。
 最近のレーススタイルはTシャツで、ランシャツは少数派になってきています。Tシャツはファンランの雰囲気を出し、レース参加の裾野を広げ一般化してきたことの証のような気がします。
 今年の目玉は、エリック・ワイナイナのゲスト参加です。このことは今日まで知らなかったことで、調査不足でした。ワイナイナが開会式で挨拶する場面があり、何語で言うのかワクワクして、マイクの高さを調節したりする時間が私の緊張を高めました。そして「みなさん、おはようございます。」と中学生のような高い声で、そして流暢な日本語で第一声がありました。そのときに一瞬のどよめきがあったのは、他の聴衆も期待を持って耳を傾けていたことの現われです。そのことで親しみ(IMEの漢字変換ができない)を持つようになった参加者は多かったと思います。
 クォーターの部門は10時がスタート時間で、大府駅から共和駅を往復するのがおおよそのコースになります。車道を全面通行止めにし、交差点を横切る車も皆無にするほどで、市と教育委員会、体育教会が主催する強みです。
 アップダウンと曲がり角はスタート、ゴール地点、折り返し地点に少しあるほかは、ほとんどが平坦な直線コースとなっています。
 レース中、共和駅近くになって、折り返してきた先頭ランナーがワイナイナでなかったのは意外でした。その後に続く選手も皆日本人で、あれー、ワイナイナはどうしたと思った瞬間、前を行くランナーがサァーッと道の中央に寄り、右手でワイナイナとタッチしました。私もそれに倣ってワイナイナの「がんばって」の声とともに「パチーン」とタッチすることができましたが、強く叩いたつもりは無かったのにしばらくのあいだ、手の平が「ジーン」とするほどです。しかし、無性に嬉しくてしばらくのあいだは、その感触を楽しむことができました。
 ワイナイナは多くのランナーを相手に手を叩いているのだから大変です。地元でも住民と握手をしすぎて肩が痛くなったこともあるそうで、やさしい性格です。
 ワイナイナはエリックとジェームズがいて、顔も似ているのでこんがらがってしまいます。
 レース結果は51分25秒、エントリー150人中71位でした。昨年は50分台だったので着実に(?)成績が下がっています。しかし成績が下がっても、精一杯の満足できる走りができたので悔いはありません。
 閉会式後の抽選会は絶対に当る予感がしていたのですが、なぜか当りませんでした。運をこんなことで使ってしまってはもったいないからこれでいいのだと考えながら、小雨の降るなか、足早に大府駅へ向かいました。
2003年11月02日
 NHK大河ドラマ「武蔵」が面白くなくなってしまいました。面白かったのは小次郎との決闘前まででありました。今日は忍者の亜矢が、武蔵の作った村の村人を皆殺しにして、武蔵が亜矢との闘いで亜矢を殺す直前でお通が殺さないでくれといいます。そして逃がしてやる場面があります。普通では考えられないことで、ドラマだからできる茶番に感じました。
 チャンバラを見ていてよく思うことがあります。日本刀を振り回せるような強い女は絶対にいなかっただろうと。剣道の竹刀のように軽くないんだから、構えているだけで腕がしびれるし、着物を着ている人間を切って殺すなど無理でしょう。だから突くぐらいしか方法がないと思います。したがって昔の剣の達人は武蔵のように筋力がありそうな人間であったはずです。さしずめ現代では、松井や清原のような体格の人間です。女や優男が刀を抜いてヒラヒラヒラっと相手をやっつけるなんてありえない。NHKの大河ドラマでそんな場面があると、見ていて馬鹿らしくなってしまいます。
2003年10月29日
 ソニーの出井会長が体力のある会社にすると、人員削減を打ち出しました。少数精鋭は、優秀な人を採用するか、採用した社員を有能に育てるかで違いがあっても、少数ということで、会社や組織にマイナスとなることは絶対にありません。それは組織が違ったり、部門や部署が違っていても同じです。むしろ余剰であるほど組織は弱体化していくのです。
 今後、全体で2万人、国内で7千人を削減するといいますが、世界のソニー・グループ全部で15万人以上もいます。したがって、15人の箇所であれば2人減って13人で仕事をすることになるということですね。
2003年10月28日
 25日に買ってきたニンジンに墨が付いてしまいました。炭素菌に冒されてしまったように見え、食べるのをビビッてしまうほどです。
      
 買うときはもちろん、非常にきれいでした。しかし2〜3日でこんなになってしまうとは予想しませんでした。袋には3本入っていて、3本とも黒くなりました。
 袋から出して切ってみると黒いのは表面だけです。中のほうは何ともありません。結局もったいないので、皮を剥いて食べることにしました。
 黒くなった原因がわかりません。誰か知っていたら教えてください。
2003年10月27日
 晩御飯のおかずに三つ葉のおひたしがあり、よく見ると三つ葉より黒っぽい菊の葉ような物があるので取り除きました。そのしぐさに気付いた母親が、細葉(槙の木の葉)が入っているかもしれないというので、あらけて見ると確かに細葉の切れ端が入っていました。そのほかに、根がずるずる伸びる雑草の根も入っていて、今後の料理が心配になりました。
 母親は「三つ葉の若芽を採って、おひたしにした」いいでしょうという感じなので、「採るときにようく見てよ」と言ったのですが、そのときにはもう耳が遠くなっていて聞こえなかったようです。
2003年10月19日
 豊橋に愛知大学があります。そこで行われる情報処理試験のなかのネットワークを受けてきました。朝9時半から午後4時半までと長く、非常に疲れました。
※試験内容
  午前の問題   9:30〜11:00 50問全問 選択解答
  午後Tの問題 12:00〜13:30 4問中3問選択 記述解答
  午後Uの問題 14:00〜16:30 2問中1問選択 記述解答
 解答時間に余裕がありません。じっくり間違えの無いようになどと、のんきなことを考えていたら間に合いません。問題文をすばやく理解できる能力が必要です。
 勉強するときは憶えることに主眼を置いているので、じっくり確実に理解するように文章を読みます。試験のときもいつものように、じっくり問題文を読んでいると時間が足りなくなってしまうのです。
 午後は記述式であるため、わからなければ解答用紙に記入することができなく、提出するときに空白が目立つのは格好が悪い。しかし解からないものは解からないので、見当外れじゃないかと思っても書き込むことにしました。
 今回は午後Tで、どの問題を選択したかを記入し忘れたため、できたとしても不合格となる結果になりました。
 ・ 時間との闘い
 ・ じっくり読んで理解する時間が無い
 ・ 出題範囲が広い
 ・ 問題選択は直感で選ぶ
 ・ ○印を付けなかった(始めに全部○印を付ける)
 ・ 午前は鉛筆、午後はシャープ
次回は以上のことに注意しようと思います。
2003年10月18日
 毛無山を登山しました。
2003年10月08日
 昨晩は夜中にお腹が痛くて眠れませんでした。原因は夕食で“ジャンボかつカレー”を全部食べたことによる食べすぎです。寝る前に大田胃酸を飲んだのですが、効きませんでした。そのため今日は寝不足になりました。もう二度と食べません。
2003年10月04日
 納豆は人によって食べてはいけないことがあると、たまに聞くことがあります。私のおばさんも、医者に言われて食べないようにしていると言っていました。どうして食べちゃいけないのか?たぶんそのときは「これこれこういうわけだから納豆は食べないようにしてください」と医者は説明していると思うのです。しかし「はいはいわかりました」と言って、私は納豆を食べちゃいけないんだ。理由はどうあれ、私は納豆を食べないほうがいいのだということだけ頭に残っているような気がします。
 今日も母の知人で、足の静脈の血栓で歩けなくなって入院したことのある人が、「私は納豆とクロレラは医者に止められている」と言ってました。
 そこでいろいろ調べてみると結論は、血栓をできにくくする薬「ワーファリン」を服用している人は、納豆を食べないようにしたほうが良いということがわかりました。納豆がワーファリンの効用を無くしてしまうからです。

 ・ ビタミンKは、血液を固まらせる働きがある
 ・ ワーファリンは、ビタミンKの作用を抑えて血液の凝固を防ぐ薬
 ・ 納豆は、は納豆菌でビタミンKをつくる、またナットウキナーゼもつくる
 ・ 納豆菌は消化管で長時間働く
 ・ ナットウキナーゼは血栓を溶かす
 ・ ビタミンKは、骨を丈夫にする

 納豆菌は血液の凝固作用のあるビタミンKと、血栓を溶かすナットウキナーゼの両方を産生するという複雑な働きがあります。怪我したときには血液の凝固作用が必要であり、ビタミンKはその凝固作用があります。しかしビタミンKは凝固作用の多くの因子のなかのひとつに過ぎないと言いますから、ただビタミンKだけを多く取りすぎると血栓ができやすくなるというものでもないらしいのです。
 それよりも納豆を好意的にみれば、納豆菌は消化管で長時間、大量のナットウキナーゼとビタミンKをつくり、ナットウキナーゼは薬より多くの血栓を溶かし、ビタミンKは骨を丈夫にするということで、健常者にとっての悪影響の要因は何もありません。
 納豆を食べない関西のほうが関東より骨折が多いというデータもあり、絶対に食べたほうほうがいいと思います。ただし納豆を買ってきたときの入れ物は、臭わないようにしっかり洗うか、密閉されたものに捨て、いつまでも置かないようにしたいです。
2003年10月02日
 念願のBフレッツがようやく開通しました。最初はISDNはじめちゃん、次がADSL1.5そして8メガと高速化してきました。ISDNからADSLになったときはすごく速くなったと感動したのですが、その後の変更では、感動するほどの実感がなくなりました。Bフレッツも実感できるほど速くなるとは思っていません。それじゃどうしてBフレッツにしたかというと、それはホームページのアップロードで、こけちゃうことがしばしばあったからです。今度からは大丈夫でしょう。
 Bフレッツの申し込みを最初は、今年の6月にNTT西日本へおこない、プロバイダから申し込むと工事料がタダになるため、すぐにキャンセルして、OCNから再度申し込みしました。NTTから工事日の電話があったとき、担当者がOCN経由になっていることがわからなくて料金が27,100円かかると言われ、再確認することがありました。今回の工事で置いていった工事内容料金内訳書にも、27,100円としっかり書いてあるので不安が残ります。請求書じゃないので「まあいいか」という感じです。
 工事は午前9時ころから1時間ほどかかりました。2人で1日4軒くらいあるそうです。まず屋内のどこへONUを置くか決め、壁に1cmくらいの穴を開けるため、外へはどこから出すかを決めます。私の家は2箇所に穴を開けました。パイプを入れ、あまり気になることはありません。外壁にPDを付けそこを中継して光ケーブルは電信柱へ向かって行きます。PDは縦横15×25cm位の大きさです。光ケーブルは私の家から近くの電子柱へ引っ張り、以前からある電話線と同じ経路でDクロージャーまで引っ張ります。Dクロージャーは幅50cm位の長方形で白っぽい色をしています。アナログ電話のものは黒です。電信柱のDクロージャーまで100m以上ありました。屋内の光ケーブルは白色で2本線、屋外は黒色で3本線になっていてそれぞれ、そのうちの1本は補強用のような気がします。
 工事屋さんは局とONUの間で通信できると作業終了で、工事内容料金内訳書を置いてサッサと帰ってしまいます。この後のパソコンとの接続と、ネットワーク設定は自分でやらなければなりません。大して難しくありませんが、私は工事日に合わせてADSLとBフレッツの切り替えをするようにNTTに言ってしまったので、工事中にADSLが使えなくなってしまいました。
 ADSLとBフレッツでは、プロバイダのプラン変更をしなければならないと気づき、OCNに電話で問い合わせると、OCNから送られてくるプラン変更申込書で変更すると数日かかるけど、インターネットから変更するとすぐに使えるようになりますということでした。それならなんとしてもインターネットから変更した方がいいと思い、近くの知り合いのパソコンを借りて変更することにしました。プラン変更は現在のユーザIDとパスワードを入力して新しいユーザIDとパスワードをもらうだけです。わずかですが当然料金の変更もあります。OCNは電話でしばらく待たされ、インターネットでの変更でも7回目にしてようやく変更でき、手間がかかりました。
 現在の問題点は時たま接続が切れてしまうことです。BUFFALOのルータを使用しているので、それをブラウザから呼び出して接続しなければならず面倒です。ADSLのときにはそんなことがなかったので不思議です。またルータのWAN側が10メガなので速度制限され、Bフレッツが生かしきれていないのが残念です。
2003年09月24日
 21日に左下奥の歯の詰め物が取れ、22日に右上奥に被せてあったものが取れ、二日続けて取れてしまうなんて“本当かよ!”という気分でした。
 今日は歯医者へ行ったら、両方とも削られ、麻酔もかけられ、現在もまだ歯痛がしていて散々でした。
2003年09月17日
 腰痛防止講習会は会社で定例的に毎年あります。それに参加しなければならなくなったのですが、今までに腰痛で悩んだことの無い私には、講習会の話は寝耳に水の話でありました。
 業務だ!ということで参加はするものの、人選は慎重にしないと、会社として無駄な投資になります。
2003年09月16日
 台風14号を気にしながら、13日から2泊3日で八ヶ岳登山をしました。赤岳鉱泉を基点にして阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳を歩いてきました。
 10年以上も前に登山したことがあったのですが、そのときは天候不順のため、自然の厳しさだけが記憶に残る結果となりました。今回は、初日と翌日の朝方に雨が少し降っただけで、ほとんどが好天に恵まれたことは非常に幸運でした。
 昔の記憶をたどりながら登山したことを思い出すと、その光景は、全く変わらぬものもあり、自然を守る努力が、今後も強力に続けられることを願いました。
2003年09月11日
 名古屋の「駅前アルプス」へ初めて入りました。入り口の広さとは裏腹に奥行きが深くて、浜松の登山用品店より店内が広く、多くの種類の商品があります。初心者で頭の悪い私には、スタッフが何回も同じことを繰り返し説明してくれて非常にありがたく、勉強になりました。
 3日前に駅前アルペンを探しに来たときは、店の所在が分からずに帰る羽目になってしまい、非常に残念でしたが、今回は事前に詳しく「駅前アルプス」の場所を知人に聞いて探したのですぐに分かりました。
 本当に買う気なら、「駅前アルプス」でスタッフに自分の希望を言って一緒に探せば、自分に合ったものをいろいろと見せてくれて、満足したものが買えそうです。
 登山靴を買うときには足のサイズを測り、中敷から足のサイズ合わせをし、履き方と靴紐の締め方の説明を聞き、歩いてフィット感と支障が無いかのチェックをしました。いくつかの靴を履き比べた後に決めたのですが、その後に靴の手入れ方法も説明がありました。
 ザックを買うときには自分でこれがいいと思うものを事前に決めていたので、色決めをしたら終わりと思っていたのですが、腰ベルトなど各ベルトの締める順序と、締め具合など詳しく説明してくれて、このことも初心者の私には非常に勉強になりました。
 自分に少々の知識があっても、用品ごとにある特性もあることから、素直にスタッフの話に耳を傾けた方が得策だと思います。
 重要な用品は遠くても「駅前アルプス」まで行きたいと思わせるほど、いい店でした。
2003年09月07日
安倍川上流の山伏を登山しました。曇ることがあっても雨が降るとは思いませんでした。天気が思わしくなかったのですが、その分自然の不思議さを味わえて、温泉につかって二千円ちょっとで一日楽しめてよかったです。
2003年08月27日
 昼食をどこで摂ろうかと、村櫛から館山寺へ向かって車で走っていたら、ランチの赤い旗が目に留まりました。営業中の札を確認して扉を引くとスリッパが置いてあります。たぶん履き替えるのだろうと思いながら見渡すと、店の人が気が付いて履き替えることを伝えてきました。
 建物は廃材を使ってあるようであり、木材の切り欠きも綺麗にできていませんし、それをボルトやネジ止めしてあるのを見て、素人の造作に思えました。何でそんなことを気にしてしまったのかというと、道路を車が通ると、その振動が結構気になったからです。
 メニューのようなものがどこにも無いので聞いてみると、ランチは1100円の昇進料理になっているとのことでした。玄米ご飯、味噌汁、こんにゃく・にんじん・ごぼうなどの煮物、シチュー、胡麻和えなど自然派材料です。だから建物も自然派造りなのかも?
 私は知らなかったのですが、この日の中日ショッパーに、この店の紹介が出たようです。
 なおこの店の名前は「玄炊庵」と言い、庄内町にあります。
2003年08月23日
 昨日は、朝起きたときから左足の外側のくるぶしが痛かったです。一昨日は足を使うことは何もしていないしなぜだろうと思いました。一昨日の夜は、ビールの後に日本酒を少し飲んだら、強い眠気がしてその場で横になり寝てしまいました。その寝ているときにジャージのファスナーが膝の少し下のあたりで床との間に挟まってたびたび痛かったことがありました。今はそのことが原因と思っています。
 朝から痛かったのでシップを貼って会社に行き、昼に貼り替えましたが結局その日は寝るまで治りませんでした。しかし、翌日は全く痛くなくなりました。
 車のクラッチを踏むに痛く、左足に体重をかけるのが怖いくらいだったのが、うそのようようです。
 とにかく治ってよかったです。
2003年08月21日
 マイクロソフト・ウィンドウズの脆弱性を狙って感染するブラスター・ワームは日本で3400件以上が感染したそうです。マイクロソフトはこの対策について「ネットに依存した対策が有効に働かなかった」とニュースで放送されていました。
 インターネットで感染するウィルスだから、感染者のほとんどはインターネットに接続している。だからインターネットで対策版を公開すればほとんど解決するだろうという考え方だと思います。そしてそれがマイクロソフトとして一番経費がかからなくて、効率的でもあります。
 有効に働かなかった原因が日本のユーザの場合、パソコンを使ってインターネットで検索するだけで、それ以上の操作ができないのであるとすれば、さびしいものであります。
 今回のコンピュータ・ウィルスは金儲け主義のマイクロソフトへの警告だという見方もありますが、実際に欠陥ソフトであることを露呈させたことは、そのとおりであり重大なことと思います。
2003年08月20日
 生命保険の契約切替時期となって、新たにいくつかの商品情報が提供されました。 自分の考え方として生命保険は基本的に遺族のためと思うのです。病気とかケガにより入院することもあるので、そのときのためにという話もありますが、それは生命保険に付随する別の保険だから、基本的な生命保険の意味合いでかけるなら、遺族の先が細い私にとっては高額な保険は意味が無いというより、無駄な投資になります。生命保険、傷害保険、入院保険、火災保険、損害保険などいろいろありますが、具体的にどういう場合にいくら支払われるのかを把握して、見直す必要があると思いました。
2003年08月17日
 13日から5日間のお盆休みも今日で終わりになります。13日以外は全部 。近くに出かけるにも億劫になります。
 9時半ごろから天竜川へランニングに出かけました。曇り空でランニングには丁度いい気温です。帽子が無くても日に焼けないし、頭も涼しくていいから今日は少しいいタイムを出そう。フォームは腰高になるように頭を糸で吊られたような感じで走ることに注意して。と調子のいいことを考えていたのですが、4kmぐらい走ったところで雨が降り始めました。
 私の走るコースは10km、雨が降らなくても汗でビッショリになるのだから同じさ、と思っていました。雨が降れば濡れるというのは当たり前です。しかし雨はめがねを掛けていても直接目に降りかかり、汗と混じって目に入り痛くて目が開けられなくなります。そのたびにめがねを外して顔を拭かなければならないことになりました。
 だからいいタイムが出なかったという訳ではなくて、途中で降り出した雨が恨めしかったことと、ランニング中に雨が目に入ると痛いのだ、ということを実感したことです。
 汗が目に入ると痛いし、結膜炎になる可能性があります。
 雨が降りそうなときは帽子を被ろう。
2003年08月17日
 “勤労協だより”ホームページをフレーム構造に変更しました。IBMホームページビルダーを活用したいこと、Javaなどの効果を簡単に取り入れたいこと、毎月、タイトルの写真を何にしようかと悩むことと、発行部数が増えてきたのに対して見にくい感じがすること、ユーザの見易さを考えることを考えました。
2003年08月16日
 中野町の花火が二日遅れで打ち上げられました。場所は国1と天竜川の交差するところです。
 7時半ごろ突然「ドン」と音がしてから、ひっきりなしに打ち上げられると、段々気持ちがそわそわしてきます。小雨だから足元が悪く座ることができないし、最後のフィナーレだけを見ようと8時半になってから出かけました。
 人出はいつもの年の半分もいないほどで、河川敷も非常に車が少なかったけれどしかたが無いと思います。最近のように毎日ぐずついた天気が続くと、花火を上げる機会を失ってしまいますから。
 最後の“超”大スターマインは圧巻でした。一般的なスターマインから始まって、地上で爆ぜ孔雀の羽を広げたような花火、そして打ち上げ花火とスターマインを同時に上げ夜空を覆いつくすように広がる火の花。身震いし、思わず「わー、すごい!」と声が出てしまいました。
 全部で4000発だからあまり多くありません。しかし単純な打ち上げ花火なら1秒間に1発上げたら1時間かかります。2秒間隔にして2時間になり、家が近くの人はうるさそうな感じがします。
 余計な考察でした。
2003年08月11日
 9日10日の二日間で親戚の人たちと、奥飛騨温泉郷にある栃尾温泉へ行ってきました。9日は大型の台風10号が近づいていて出発が危ぶまれたのですが、計画通り行くことにしました。9日は朝からの悪天候で、10日は晴天になり正反対の天候でした。
 栃尾温泉は新穂高ロープウェイに近く、交通も少なくて閑静なところです。焼岳から引いているという温泉は熱くて常時出っ放しになっており、24時間入浴が可能ということです。
 距離は往復で537kmになり、高速道路を使わず山道を走ったことも一因でありますが、温泉へ行って疲れて帰ってくるんじゃ何にもならないと、いつも思います。だから最低二泊はしたいものです。
2003年08月08日
 強い勢力を持つ台風10号が高知県に接近し、我が静岡県においても、今朝から在来線がダイヤどおり運行できない状態になっています。そんなときに懇親会を決行するなんて常識的に考えられません。それも東京・名古屋・大阪と各地から来ている人達がいて、彼らが決行することを決めたのだから大したものです。早く家庭に帰れない事情があるのかも分からないのですが、台風のときぐらいは早く帰るのが当たり前と感じます。
 日本人は自分を捨て、家庭を捨て、国や会社・組織のために働き、自己達成することに生きがいを見つけているし、そうすることが美徳にされる世間でもあります。
 しかし台風が近づいて帰れないかも分からない状態であっても、パートナーがそこまで付き合ってくれるならと考えるなら、親近感や信頼感は自然と生まれてきます。今回のコンピュータのリプレースのプロジェクトが、台風10号と同じで暗雲が垂れ込むだけで何事も無く完了できればいいと思いました。まだ浜松まで来ない台風に期待を寄せて。
2003年08月07日
 龍門堂へ抹茶を買いに行ってきました。買ったのは「松の白」40gを二つです。ここでは抹茶をサービスしてくれることがよくあります。今日も冷水で立てたお茶をいただきました。とてもおいしいです。さっぱりしていて水やジュースみたいにたくさん飲むわけではないのに、口の渇きを癒してくれます。自宅で作ってみたことがありますが何かが違うようです。
 店の人は若い女性と中年女性の二人がいて、私が注文した抹茶を先に用意してくれたのが中年女性で、冷水でお茶をたててくれたのが若い女性です。そしてそのお茶を飲んでいる間に、若い女性のほうがダブって私の注文のお茶を用意するというハプニングがありました。
 この若い女性は綺麗な人で、お茶を立ててくれたし、買った抹茶も一割引きでラッキーでした。しかし私が求めるお茶をダブって用意するというハプニングができて、申し訳ない(?)のでとりあえず「すいません」と言って店を出ることになってしまいました。
 帰りにイトーヨーカドーで耐熱ガラスの急須も買いました。頂き物の急須は湯飲みとセットになっていたり、大きすぎたり、使い勝手が悪かったりで結局買ってしまいます。今度の急須はガラスだから、お茶の出の状態が分かるのがいいです。また、夏向きでもあります。
2003年08月05日
 昨日に引き続いて、旧事務所の片付けをしました。移動書庫について持ち出せるようになっていないとクレームが付いたので、分解しなければいけなったのです。やる気のある連中ばかりでしたが、やはり暑くて大汗をかき、予備のために持ってきた作業着に、もう着替えることになりました。
 私が遅い夕食を食べているとき、母が眠い眠いと言って部屋から出て行くので、寝に行くのかなと思っていたら、アイスクリームを持ってきて食べ始めました。私がテレビのほうに夢中になっていると母が突然
 「その腕時計買ってきた?」
ん!何のことだろう?と母を見ました。
母はアイスを手に持ったまま
 「今、時計をみせたら?」
 「知らんよー。時計なんか。どこにあるでー」
 「夢をみたのかねー」
アイスを食べながら夢をみたようでした。一瞬「ボケたのか」と思ってビックリしましたが、よかった。よかった。
2003年08月04日
 ここ2,3日は非常に暑い日が続いています。今日も特に暑い日になりましたが、午前中は引っ越す前の旧事務所の片付けがあり、全身大汗になりました。下着や作業着の予備を置いてあったので助かりました。→運が良かった。
2003年08月03日
 松菱マートの店長が私の顔を見るたびに「先日はスイカ悪かったですね」と明るく声をかけてきます。客商売のなかでも生鮮食品は元気が良くて粋のいい店員が居ると、商品まで新鮮に見えて店に活気が出てきます。こちらとしても悪い気はしないから、余計な詮索はせずに「はいはい」と答えておけばいいと思っています。
2003年07月31日
 ランナーズ8月号に目から鱗の記事が載っていました。一昨年からランニング中に出る汗の量が極端に増えてTシャツは水に浸けたように濡れ、異常さを表していました。また昨年からは以前に走ることができた20kmコースが疲労困憊で走れなくなってきたことです。加齢による体力の低下だとあきらめもありました。ランニングが2時間近くなると決まって疲労困憊になり、歩くのもやっとになってしまうほどです。この大量の汗と疲労困憊という二つの悩みについて、今月のランナーズの記事は、原因を明確に説明してくれていました。
 記事の内容は「最近の調査では、血液中の中性脂肪が高い人ほど記録が良いことも分かってきました。分類すると、中性脂肪が50mg/dl未満は戦力外、50〜70mg/dlは走ってみなければ戦績は分からない、80mg/dlあれば記録更新は可能でしょう。なお、アルコール飲料は脳の水分代謝をマヒさせ脱水を促進しますので、自制心がなければ記録への挑戦は困難を極めます。」と
「マラソンのエネルギー源は主にグリコーゲンやブドウ糖。しかし、その供給時間は90分程度。その後、TG(中性脂肪)が脂肪酸に代謝され使われる。レース終盤、急に走れなくなるのは、TGの備蓄が少ないために起こり、基準範囲は男女とも30〜150mg/dlで、一般に値が高いと健康被害のリスクは強いとされる。」です。
 要は中性脂肪を高くすること、酒を減らすことです。現在の私の中性脂肪は35mg/dlですから低いことは間違いありません。酒は自制心の問題で一番つらいところです。
 しかしがんばって酒を自制心で控えることができても、ランニングをしながら中性脂肪を増加させる方法があるのかどうか疑問があります。
2003年07月30日
 キリンのアミノ酸サプリメント「アミノパーフェクト」を買いました。ところがこの箱に書かれている成分説明で「非遺伝子組み換え大豆の・・・」とあり、「非」が「遺伝子」にかかって遺伝子以外の他のものを組み換えてあるように捉えてしまいました。もっと単純に「遺伝子組み換え大豆は使用していません」でいいと思うのですが、使用していませんだったら遺伝子組み換え品を使用していないことになります。しかし非遺伝子組み換え品使用という表記なら、遺伝子組み換え品が50%で、非遺伝子組み換え品が50%でもいい訳です。豆腐などは国内産大豆を50%使用すれば「国内産大豆使用」の表記ができるそうです。
 国内産の食品用大豆はもともと非常に少なくて14%しか無いのですから、醤油、味噌、豆腐、納豆などを国内産だけでまかなうことはできません。遺伝子組み換えでない国内産大豆使用ということなら少々高くても買うという消費者が増えれば、大豆生産者も増えるかと思います。しかし遺伝子組み換えでない外国産大豆もたくさんある現実から、外国産でも安い良質の大豆が手に入るほうが国民の健康のためにいいかなとも思います。
2003年07月29日
 口唇ヘルペスというのを知ってますか?唇に水泡ができてぴりぴりした痛みを伴う、実に不快な症状です。唇が切れたり何かできたりするような症状が現われると、胃が悪いからだとかビタミンの偏りだというのが漠然とした私の一般的な知識でした。しかし水泡ができるのは体内に入ったヘルペスウィルスが原因だったのです。ほとんどの人が体内に持っている感染力の強いウィルスで、体力の低下やウィルスのバランスが崩れたりして唇に水泡ができる症状を発症します。唇にできるのは単純ヘルペス1型で、性器にできるのが単純ヘルペス2型です。その他にも種類があり、体力の低下、抵抗力の低下で突然発症します。
 数日前、唇にできた水泡が治り瘡蓋が取れたと喜んでいたのに、またすぐにできてしまって、完治は無理であるにしても、手軽に使える軟膏があればいいなあと思います。しかし、本当は皮膚科で診てもらうのがベストです。
 今日は朝から晩まで一日中、非常に疲れていると自分自身で実感しています。
2003年07月25日
 テレビで水戸黄門特集を放送していました。シリーズの最初は火事を出し、火が燃え上がることから盛り上がることをかけたとか、最初は印籠を校門様が出していたとか、印籠は大小2つあり、模様も裏表で違っていることなど、いろいろな切り口で紹介していました。
 水戸黄門で重要なのが悪役ですが、共通するのが、顔がでかい、声がでかい、態度がでかいことであるそうです。水戸黄門では善人と悪人が本当にはっきりしています。しかし、私が判断するのは、顔のメイクやセリフのほうが多いと思います。
 自分の行動・言動は他人がどのように感じ、判断されるか、人それぞれであるにしても、一般的な見方で悪者と思われては損するので注意しないといけないと思います。
2003年07月23日
 「あなたは絶対!運がいい」「あなたは絶対!守られている」というタイトルの本があります。浅見帆帆子という24歳の女性が著者です。200ページに満たない本ですが読み終えると「うんそうか」と納得し、心が洗われたような感じがし、得した気になれました。
 この本ではまず「精神レベルを上げること」が大事で、マイナス思考や心配をしないようにします。謙遜の意味でもマイナスの言葉を口にしてはいけません。そうやってプラス思考に変えると、いろいろな意味で運のいい人になれると言います。精神レベルを上げることが交際関係、交友関係を変えると言います。
 類は友を呼ぶという言葉があり「友だちも自分のレベルに応じて選ばれている」「文句ばかり言っている人の友だちは、きっと文句ばかり言う人でしょう。一緒に愚痴を言い合えるから、友だちをしているんです。」と強烈です。
 自分に起こることに偶然は無く、自分の精神レベルと同じレベルで起こり、交友関係も同じということです。まだ起こってもいないことをマイナス思考で心配するのは精神レベルが低いからで、精神レベルが高ければ悪いことは起きないし、たとえ起こっていたとしても簡単に切り抜けているから悪いことが起こったと気付かない。すべて運がいいということです。
2003年07月21日
 母親が貝(あさり)取り(潮干狩り)に行かなかった(行きにくいので止めた)ので、機嫌が悪いです。昨日行ったのでもういいじゃないかと私は思うのですが、貝取りに目的意識があるので、食べない魚を釣る「釣り人」と同じです。
 母親の貝取りの付き合いは、送迎のため私の半日が車の運転で終わってしまうので嫌なのです。しかし82歳にもなって、元気に貝取りをしたいという母親にはできるだけ協力してやりたいと,葛藤が渦巻く心境です。
2003年07月20日
 親の所得額証明書を請求するためフォルテの2階にある市民サービスセンターへ行きました。日曜日でも各種証明書の請求サービスをしているということを聞いたので会社に車を置いて、蒸し暑いなか一生懸命、浜松駅のフォルテを目指して歩きました。フォルテの2階へ行くと市民サービスセンターには2人の女性がいたので「やっぱり日曜日でもここは窓口業務をしているのか」便利になったもんだ。
 と思い込んで、元気に自信を込めて「所得額証明書をいただきたいのですが」と言ったら?、「今日はやっていないんですよ」。「えっ!、じゃ明日は?」「22日からです。」
 心からガッカリしました。うなだれて帰るときも、時間が無かったこともあったけれど「あなた達は何のためにここに居るのですか?」と聞けばよかったと思いました。
 サービスセンターの窓口が閉まっていたのなら、日曜日はダメだという判断ができるのですが、何もすることが無いのに職員が2人もいてダメだなんて不合理だし、まさしく税金の無駄使い、余剰人員対策と考えてしまいます。
 自分に納得させるためにも、どうして窓口を開いているのか聞けば、汗をかいた甲斐があったというもんでした。
2003年07月17日
 ランニング中に赤とんぼを見るようになりました。赤とんぼは秋、と思うのですが今頃は夏アカネで、秋は秋アカネと種類が違うそうです。群れを成しているところもあり、セミの鳴き声も聞かぬうちに、もう秋になるのかと錯覚しそうです。
 7月7日のランニング時は、既に、緑の襟巻きをした殿様バッタも見ており、天竜川は直に虫たちの世界になります。
 また一週間前から、天竜川の堤防にオレンジ色をした鬼百合が盛んに咲いてランニングの楽しみになっています。
2003年07月16日
 歯科との縁が切れません。奥歯の歯茎が化膿して小さなクリーム色した膿を持ったできものができたのが10年くらい前で、近くの歯科で被せてある物を取り外して治療したのが始まりです。当時は違和感だけで痛みが全く無かったのです。しかしその後、半年ぐらいするとまた再発して今度は痛みもあるため、ずっと以前に治療したことのある遠くの歯科まで通うことにしました。そこではその化膿するところをソウハすると言って、麻酔をかけ歯茎を削り取ってしまいました。削り取った歯茎もしばらくすると元に戻ってきます。1年ごとに痛くなり歯茎を削り取るようなことを3年くらい繰り返しました。それから数年間は良かったのですが、4年前から腫れて痛くなるようになってきました。クリーム色したできもののようなものは無いのですが、歯茎が腫れることによる痛みが激しくなり何も手が付けられなくなります。最近通っている歯科は消毒すると言って歯垢を取るようなことをしてくれます。しかし以前に歯と歯茎の境の歯を削ったことがあり、普通だったら詰め物をするところをそのままにしてあるため、穴が開いたままになっています。定期的に痛くなる奥歯ですが抜く気にはならないので、歯科とは縁が切れません。
 歯に付く菌は好気性菌と嫌気性菌があります。好気性は気を好むから酸素が好きで、嫌気性はその反対で気を嫌うから酸素が嫌いです。だから嫌気性菌は歯と歯茎の奥深くに入り込み繁殖します。そして好気性菌は嫌気性菌を守るように蓋をして繁殖します。だから歯ブラシで好気性菌を取り除き、嫌気性菌を空気に触れさせて繁殖しないようにしなければいけないそうです。そして歯ブラシだけでは限界があるので、歯間ブラシで磨くことも必要だと、今のかかり付けの歯医者さんは言っていました。
2003年07月15日
 事務所の引越しが終わって2日が過ぎ、ようやく落ち着きを取り戻してきました。引越しに伴うパソコンの障害、ネットワークへの接続障害、文書ファイルの保管場所がわからないことや、水道水が臭い部屋が臭いことなどいろいろあります。
 こんどの事務所は分煙化が進みました。私の居る3階のコンピュータ室から喫煙場所へ行くためには、経理科を通り抜けて反対側の階段にあるリフレッシュルームへ行くか、1階まで階段を降りてリフレッシュルームへ行きます。リフレッシュルームは狭いので先客が居ると別のところへいくことになり、愛煙家は結構大変なようです。
 このように新しい事務所は分煙対策をしましたが、1階のリフレッシュルームは通路との間が壁で仕切られていない。つまり、部屋として仕切られていないので、完全な分煙とは言えない構造です。現在は構内完全禁煙、敷地内完全禁煙、歩行中禁煙と、禁煙化が社会的に進んできていることを考えると、喫煙場所はすべて個室化すべきだったと思います。
 それから、喫煙者に電話がかかってきたときに、以前は喫煙場所が近いのですぐに取り次ぐことができたのですが、現在はできなくなってきました。リフレッシュルームに電話を設置するにしても、どこのリフレッシュルームにいるか判断できないので、現実的対策となりません。戻ってきたら電話があったことを連絡するしかないと思うのですが、上司の緊急電話だったりするとすぐに対応できなくて心配なことです。
2003年07月13日
 北朝鮮が核燃料棒8000本の再処理を6月末に完了したといいます。この量は原爆5個分に相当するプルトニウムが抽出できるといいます。北朝鮮は以前にテポドン1号を発射し日本の上空を飛び越えることがありました。このことに日本は何も対処できなかったことを考えると、核弾頭を積んだテポドンが日本に向けて発射されれば確実に命中し、大きな被害が出ます。悪化する日朝関係が心配です。
 アメリカで空母ロナルド・レーガンが就航しました。航空機を80機を搭載し、乗組員は6000人とも8000人とも言われはっきりしません。しかしJR東海の新幹線工場である浜松工場が800人位ですから、その規模の大きさに驚きました。
2003年07月10日
 事務所の移転で今日から3日間かけて引越しです。キャビネットや机から荷物をダンボールに詰めるとかなりの個数にになり、パソコンは保障ができないからということで引越し業者が扱わないため、自分たちで運ぶことになりました。デスクトップパソコンは意外と重く、バインダーファイルの箱詰めなど慣れない仕事で疲れました。
 明日が本格的な引越し日となって、ホストコンピュータ、サーバ、箱詰めされた書類、備品が新事務所に運ばれることになっています。
2003年07月09日
 「ただいま!」いつものように家に帰ってきたので、いつものようにやれやれという気持ちになれると思いました。しかし母親が、日曜日に買ってきた「スイカが腐っている。見せてやらにゃしょうがない。3日ばかりで腐るようなスイカなんてない」と言って憤慨していました。
しかたがないので面倒だけれども、まだ8時でスイカを買ったスーパーは開いているから行ってくるかと、重い腰を上げることにしました。
 買ってから3日が過ぎ、レシートも無いので換えてくれないだろうと思いつつ、レジのお兄さんに「日曜日に買ったスイカが・・・」と話すと、
「レシートが無いと」、あ、やっぱりなあ
「チョッと奥行って聞いてきます」、少し光明が
しばらくして店長らしき人が「こちらへ来てください」と言って
そこへ行くと換わりのスイカをくれました。
「もしこのようなことがありましたら連絡をくれれば、こっちから持っていきますよ」と随分、愛想がいいので「本当かな?」と疑いながらも、私も役目が果たせたのでよかったと、心を納得させた一日の終わりでした。
本来ならスイカが腐っていなければ、何も無くのんびりできたので、実際は損をしたのです。
2003年07月07日
 ダイドードリンコの「ポパイで元気キャンペーン」でCDが当りました。「アスパラドリンクX」に付いているシールを剥がすと10桁以上の非常に見にくい数字の羅列があります。それを携帯電話のウェブからアクセスして入力し、ABCの3つの選択で当るとCDがプレゼントされるというものです。率を単純に考えるとABCの3つの内一つを選択するゲームだから三分の一です。しかしそんなにいい確率であるわけがなく、実際は応募の数字で決まっていると思われます。
 小さくて見にくい数字を、間違えながら苦労して入力した甲斐がありました。何でもいいから当選するのは嬉しいものです。
2003年07月03日
 外は大雨です。風呂場の窓には小さな雨蛙が白いお腹を見せて張り付いています。窓に集まってくる蚊を食べようとしているのですが、動きません。しばらく見ていると近くに来た蚊を捕らえて食べました。これを機に少し動くようになりました。
 大雨でも、小さな雨蛙は元気に蚊を狙って動くのが面白くて、しばらく見入ってしまいました。
2003年06月23日
 ランニングに曲がり角。走り始める前に今日はいつもよりスピードを上げてタイムを短くしてやる。今日はこの前より遠くまで走ってやる。今日は3時間走ろう。と昨日よりは今日、今日よりは明日、まだまだ伸びるという可能性に夢見る毎日がありました。決して速くない私ですがそれなりに楽しみがあったのにそのランニングに曲がり角が来ました。いざ走ってみると体が重く、ゆっくりでも遠くへと走ってみても、帰りに疲労困憊で走れなくなり、歩くのもやっとの思いで家に帰り着く次第です。
 年齢が嵩み伸びがなくなり次第に下降してくると、止めていくランナーが増えていくのも頷けるようになりました。私も現状維持から、もう走りたくないという体力に負けそうです。四十肩や五十肩、腰痛など年齢と共に現れるいろいろな障害とともにランニングも長く続けるためにはそれなりのハードルを越えなければならない時期があるようです。
2003年05月18日
 今日は茶臼山高原走ろう会に参加してきました。このレースは5km、10km、15kmの各部門があり、有料道路の頂上から各部門の半分の距離を下って上ってくるという折り返しコースになっています。
 朝7時前にマイカーで自宅を出発し、9時前に茶臼山高原に到着しました。受け付け時間は基本的に8時から9時になっていますからぎりぎりの時間です。しかし、場所を変えて受け付けするようになっているのであまり気にする必要はありません。それよりも駐車場が満車で遠くなるといやだなと思うので、いままでは早めに着くようにしていました。今回は時間いっぱいで駐車場もかなり車で埋まっていましたが、あまり心配する必要はなかったようです。9時30分開会式、10時スタートと、いいテンポでスケジュールが進んでいくので気持ちがいいです。
 全部門、同時スタートで、私は15kmに去年のリベンジだという意気込みで臨みました。何がリベンジかというと去年は上りをほとんど歩いてしまったから、今年は遅くてもいい、絶対に歩かないぞ、ということなんです。去年の轍を踏まないように、まず下りでスピードをセーブしました。それから、ほとんど取ったことのない給水を早めに取りました。結果的に一歩も歩くことなくゴールできたので成功でした。しかし、後で見た成績表は、1時間20秒で62人中38位とあまり喜べるものでなかったので、今後の課題だなと思っています。レース中に道路監視の役員に「がんばれ」と声をかけてもらっても、返事が返せないほど息が上がって、ゴール前のラストスパートもできないほど疲労し、ゴール後はよろついて歩くのがやっとであって、全力を出し切ったと満足していたのが、成績順位を見たら「んー、まだまだだな」と思ってしまうのだから「んー」。
 閉会式は毎年、まず太鼓の演奏があり、閉会の挨拶、表彰式、そして最後に抽選会です。この抽選会の商品はアウトドアグッズ、温泉入浴券、地場産品、宿泊券があり全部で50本以上あると思います。これがあるから殆どの参加者が残っています。私も去年の夢よもう一度と願ったのですが、当たりませんでした。しかし来年こそは何か当てよう、順位を上げようと今から闘志を燃やしています。
 帰りに道の駅「豊根」で遅い昼食をとり、湯〜ランド・パル豊根で温泉につかって家路に着いたのが18時30分でした。充実した気持ちのいい疲労が残った一日でした。
2003年05月01日
 5月1日から都内民鉄は駅構内前面禁煙となりました。
 5月1日から袋井の幼稚園・小中学校が敷地内前面禁煙となりPTA等父兄も吸ってはならないことになりました。
 これは袋井市が特別進んでいるのではなくて、佐賀市などは市関係はすべて禁煙としています。
 6月1日からは磐田市立病院も敷地内すべて禁煙となります。
 これは5月1日から施行された「健康増進法」に合わせたものです。
 「健康増進法」は八章三十九条からなり
  2002年7月26日制定
       8月 2日公布
  2003年5月 1日施行
されたものです。
 第五章 第二節に「受動喫煙の防止」があり、第二十五条で「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」とされています。
 また「労働安全衛生法」でも「事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針」(労働省告示第59号)の中に、「空気環境におけるタバコの煙や臭いについて,労働者が不快と感ずることのないよう維持管理することとし、必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずること」というのが出されています。
 現在、まだまだ分煙が進んでいるとは言えず、分煙していても人通りの多い通路や入り口付近を喫煙場所に指定しているため、効果がほとんど現れていないのが現状です。会社における喫煙所は、喫煙者が一度に集まることが多く、たむろする場所になっているようです。
 「健康増進法」の施行で、喫煙者の喫煙に対する認識が深まることを期待したいと思います。
2003年04月24日
 昨日、マイカーで桜を見に高遠まで行ってきました。朝5時に自宅(浜松市)を出発し、帰り着いたのが19時です。片道の所要時間は国道257号線、153号線を走って現地到着が9時半ぐらいだったので、4時間半かかったことになります。
 今年は今回で3回目の花見旅行になりますが、3回ともすべて雨天気になってしまいました。今回も、前日の好天気とは打って変わって、予報では四国、九州の一部を除いてすべて雨になっています。
 人生は、いつも晴ればかりじゃない、雨の日もなけりゃ晴れのありがたさが判らないし、また逆もしかりだと前向きに考え、しかし、それでも大雨にならないことだけは期待して出かけることに決めました。そして当日朝のラジオで、私の今日の運勢は好転すると言うのを聞いて、そのことに期待し勇気づけられもしました。
 結果的に高遠での天気は小雨が少し降った程度でありました。それよりも西側のほうは風が強くて、花吹雪というか桜吹雪というか雪が舞っているようにも見え、感動ものです。
 城址公園に入るには500円を支払います。しかし一旦券を買えば、当日限りで出入りは自由になっています。
 城址一帯は桜の木で覆われており360度見渡しても桜、空を見ても桜の花びらの隙間から空が覗けるといった感じです。
 風が強く寒い日でしたが、何組かの人たちがシートを敷いてお花見をしていました。
 薄着をしてきたので、寒さしのぎを兼ねて早めの昼食を摂ることにしました。食堂の店員さんが言うことに、今日は人出が少ないとのことでした。またそこの店の前のお土産やさんでは、高遠饅頭の安売りを始めていました。お土産品のバーゲンセールなんて、観光地ではあまりやらないんじゃないかと思います。
 外へ出ればすぐに寒くなるので次の目的地の伊那梅園へ向かうことにしました。
 ツアー情報などでちょくちょくと見かける伊那梅園は、一度行ってみたいと以前から思っていました。梅は開花時期が桜より早いという先入観があったので、今ごろ遅くて駄目だと思っていました。それで高遠まできても、伊那梅園に寄ることなど考えもしなかったのです。しかし伊那梅園の見頃は高遠の桜と同じ時期だということを、今年初めて知りました。
 そう言えば河津桜と伊豆バイオパークの梅も同じ時期に咲いていました。
 伊那梅園は民間経営です。入園券は500円。
 園内は白、ピンク、黄色と大変カラフルです。橋、水車、神社、巨石、意味の分からないオブジェ、見晴台、お土産店からコーヒー店、食堂といろいろあります。
 園内をゆっくり一周したあと、お土産屋の二階から螺旋階段を登って、見晴台の頂上までいきました。しかし、そこは微妙に揺れていて非常に恐かった。
 中心部から離れて端っこのほうへ行くとバランスを崩して倒壊するんじゃないかと、恐怖心はあらぬ事を考え出すものです。デジカメを持って右手を精一杯伸ばし、何枚か写真を撮ることが出来ました。
 降り際にすれ違いで上ってくる親子三人組に「揺れていて恐いですよ」と言ってあげたら、母親は「私行かない」と言って二階から上へは登っていきませんでした。そのあと、上のほうでは「お父さん早く降りようよ」と言う声が二度ばかり聞こえてきました。
 私が恐怖心を煽った感じで後ろめたさが残りましたが、確かに恐かったからしょうがないと思います。
 しかし一度は上からも見ておきたい景色です。
2003年04月09日
 昨日は、遠鉄バンビツアーで吉野桜を見に行ってきました。生憎の天気でしたが多くの人出で、桜より傘の花が満開に咲いていました。
 郵便局の出張販売で広報誌「ゆうゆう吉野」を頂き、そこに面白い桜の語源が載っていたので紹介します。
さくらのさ
 吉野山には、かなり昔からバラ科の落葉高木がたくさん植えられてきた。いわゆる桜である。
 ところで、桜は何故「さくら」と呼ばれるのだろうか?ここで古人師にご登場願おう。

 古人日く、「さくら」は「さ」と「くら」によってでさあがっている言葉だ。「くら」は神の依代で、「さ」という名前の神の依代となる花が桜なのだ。故にさくらと名付けられたのだ。

 では、古来我々の祖先が崇拝していた「さ」という神は、どんな神だったのだろうか?

 古人日く、太古日本列島で生活していた人々は、春になると山から稲の神が来臨されると考えた。この神のことを「さ」と呼んだのだ。だから、稲作がはじまる頃に咲く花を「さくら」と呼んだのだ。故に、稲作が盛んにおこなわれる時期を「さつき(皐月)」という。つまり「さ」の月である。稲の苗は「さなえ(さの苗・早苗)」で、早苗を植える女性は「さおとめ(さのおとめ・早乙女)」なのだ。田植え前に田の神を祭る行事をサオリといい、田植えが終わるとサノポリという行事をするのだ。前者は「さ」の神が山から降りてくるから「さ降り」で後者は「さ」の神が山へ帰るので「さ登り」なのだ。

 今回は、古人師に桜の来歴をご披露していただいたが、民族学では、桜の咲き方で稲の豊凶を占う事例がよく報告されている。現在の花見の習俗もこのあたりに起源がありそうである。
 今年は、稲の豊凶に因んで、年の吉凶を占ってみては如何なものだろう。
 吉野町教育委員会  池田 淳
2003年04月07日
 昨日は久しぶりに20kmジョグをしました。以前はランナーズハイをたびたび感じたのですが、最近はそういうことがほとんどありません。
 何年か前、2回目の小笠掛川マラソンに出場したときに、エレクトーンを自宅前でランナーの応援のために弾いている人がいて、沿道ではおばちゃんが手を叩いて大きな声で応援していることに勇気付けられたのですが、20kmを過ぎた頃にそのことを思い出して、「あの人たちも、私たちと同じにマラソンしてるんだ」と思って目頭が熱くなり、涙が溢れそうになって必死にこらえたことがありました。
 中田島までジョギングしたときには、天竜川の河口から浜を西に向かって走っているときに、その風景から突然、「水戸黄門」の時のナショナルのCMで映し出される美しい自然とともに「この地球に永遠を・・・♪」が思い出され、すごく熱くなりました。
 ハイになるときを予想することができません。また、どんな形で現れるかも分かりません。自然と一体になったような感じで自分が自分でなく、おおらかに、解放されて肉体の感覚から解放されたようになることもあります。アルコールで酔っ払うこととは全く違います。もっと高貴な陶酔感です。
 コンスタントに走らなくなったためか、以前はいつまでも走っていられそうだと感じて走っていたのが、近頃はもう少しで終わりだ。あとチョッとで終わりだ。もう歩きたいとか思うようになってきています。
 いまだに、タイムにこだわるのが悪いのかも。でも、これが張り合いになるんですよね?
2003年04月06日
 今、P2Pが面白くてかかりっきりです。音楽、画像、動画、アプリともう何でも在りで、個人同士で交換するものです。
 何が欲しいといっても、やっぱし何でも欲しいと思って時間をかけて大きな容量のものを落とすと、中身はタイトルと全く違ったものであり、がっかりするのだけれど、これがまた楽しみを長続きさせることになっています。
 ダウンロードの進み具合を見ながら「完了」すると、期待を持って確認すれば「あれれ」と思っても、落とすことだけが楽しみで、時間が過ぎていきます。
 まだ始めて一ヶ月は過ぎていませんが、途中になっているものを含めて30G以上を落としました。もう少しすると飽きがくると思います。
2003年03月23日
 最近頭にくることがあります。それはNTT西日本のBフレッツの宣伝です。私はBフレッツがまだ適用外の地域に住んでいるため、すでに予約申し込みをしているにもかかわらず変更できません。それなのに新聞のチラシがたびたび入ります。
 今日は遠鉄バス全体を塗装した宣伝を見て頭にきました。それも今日1日で2台も見ました。インフラがしっかりしていない状況で宣伝だけを大々的にするのは法律違反じゃないのか。過大広告、誇大広告に該当するのじゃないかと思いました。
2003年03月22日
 昨日コンプマートでDVD+RWとギガMOを買いました。
 内蔵型DVD+RWはI-Oデータ製DVR-ABN4Pで25,500円から10%引き、外付けギガMOは富士通で25,000円でした。
 ギガMOはUSB2.0で640Mとの価格差があまり無いので迷わず買うことに決めました。しかしDVDは方式がいろいろあり、"RAM"や"-RW"それに"-RW"と"+RW"の複合型があるため解らなくなってきました。
 これが読めてこれが書けるという条件、書き換えができるかどうか、メディアの値段は一般にどうなっているのか、今後のシェアはどうなるのだろうかと考えたのですが、結局、当初の目的である"CD-RW"の機能があればいいやということで決めてしまいました。特に価格が一番安いのが決定的でした。当初の目的から当たり前の結果でした。
2003年03月01日
 タバコの原産地は、南米アンデス山脈と言われています。そして喫煙の始まりは、マヤ遺跡のレリーフに残っています。そこでは当初、タバコは嗜好品としてではなく、儀式や治療薬でありましたが、のちに嗜好品となっていきました。
 タバコがサンサルバトル諸島の原住民からコロンブスに贈られ、伝えられて全世界へ広まります。それから後、日本へはポルトガル人が伝えました。
 江戸時代からタバコの害は、貝原益軒の「養生訓」で習慣性があってやめられなくなることが記述され、徳川幕府もたびたび禁煙令を出してきました。この時代からタバコの吸い過ぎは体を害し、火災の原因になるし、不経済であると言ってます。
 山川出版社の高校教科書「日本史B」から
慶安の触書

一、たばこのみ申 間敷(まじく)候。 (これ)は食にも成らず、

 結句(けっく)、以来 (わずらい)(なる)ものに候。其上、 (ひま)もかけ

 代物(だいもつ)(いり)、火の用心も (あしく)候。

 日清戦争後「葉タバコ専売法」が公布され、タバコの栽培が国で管理されるようになりました。しかし、小学生に喫煙が広がり、神経を麻痺させ体位も劣るということから「幼者喫煙禁止法案」が提出され、明治33年「未成年者喫煙禁止法」が制定されました。現代の幼児喫煙が時代の中で繰り返されています。
 明治37年に「タバコ専売法」が公布されると、栽培から販売まで国で管理することになり、昭和24年にできた日本専売公社に引き継がれました。現在は民営化され日本たばこ産業株式会社となっていますが、実態は3分の2の株式を国が保有しています。
 喫煙者でタバコを止めたいと思っている人は80%もいます。しかし下意識はそうは思っていなくて、タバコを吸っている自分を正当化するための言い訳を常に探しています。つまり止める気はないということです。
 喫煙者がいる家の壁がタバコのヤニだらけなっています。それを知った愛煙家は「おお!すごいなあ」と自分のヘビースモーカーぶりを自慢しますが、その壁に付いたヤニ以上に家族(配偶者や子供)の肺にヤニが付いているはずです。喫煙者は「タバコを吸わなくたって、肺がんになるときは、なるさ」と言いますが、私は「あなたが吐いた煙で肺がんになったんですよ」と言ってやりたい。
 私の会社はお客様には分煙や禁煙を強制しながら、自分たちが働く事務所では徹底されていません。分煙が進んでいません。今のようにタバコの害を報道されるようになると、私もどうして他人の吐いた臭いタバコの臭いを嗅いで、健康を害さなければならないのかと憤りを感じる毎日です。
 今日は4年間にわたる「たばこ対策枠組み条約」の最終案が承認され、世界保健機関(WTO)に付託され日です。内容は広告の規制に対し、アメリカ、中国、ドイツの反対があり、自販機についても「未成年が入手できない措置をとる」などとなって、全体的に拘束力の緩い条約となりました。
 たばこ消費大国の日本も、「マイルド」や「ライト」といった表現が留保が付きで、禁止までは踏み込まない内容となりました。しかし国際的なたばこ規制が進むなかで、いつまでも反対し続けられるものではありません。
 医師でノルウェー首相も務めた世界保健機関(WHO)のブルントラント事務局長は「たばこは人殺し」と公言しています。今後の活動に期待します。
2003年02月23日
 昨日オートバックスで、チラシの目玉商品になっているカーステレオを買ってきました。それで、車に付いているカーステレオを取り外してみると、エーッ、接続コネクタがぜんぜん違うじゃん。そうなのかー、車はパソコンと違うんだ。と初めて知りました。メーカーによっても違うし、年式によっても違うのです。それにコードがどこに繋がるのかまったくわかりません。
 さっそくインターネットで調べると、SONYのカーフィッティングでまず調べることから始めるとよいことが判りました。それで自分の車のカーステレオに繋がるコードの、コネクタの内容がわかり、中継変換ケーブルが販売されていることが判りました。
 今日は、そのケーブルを買って取り付け作業です。しかし、車へカーステレオの取り付ける金具がしっくり合わないため、ステレオの左右ともネジ1本での取り付けとなり、不安が残る形となりました。それでも何とかラジオもCDも音が出るので、やれやれです。
 今日はタイヤも買い替えました。ブリジストンの“Bstyle”です。“185/70R14 88S”で1本7,600円でした。チラシには1本8,400円となっているので、販売員が「今月いっぱいのサービスで安くなります」と言っていたサービスをしてくれました。
 壊れてカセットが出なくなったカセットカーステレオが、CDカーステレオになり、ひび割れて溝が浅くなったタイヤが新品になって、路面に吸い付く感じが味わえるようになり、すごい満足感があります。
 今日は天竜市杉の里ロードレースの21km部門にも出場し、忙しい一日でした。
 大会エントリーを「ランナーズ」のインターネットサイトから行ったので、大会要綱が無くスケジュールやコース、駐車場が判らず、久しぶりの出場になるため、受付開始時間前に着こうと思って、自宅を7時ちょっと過ぎに出発しました。会場は天竜市の船明ダムです。はがきに駐車場が第一駐車場となっていて、場所が会場の隣になっていたため大変ラッキーでした。一番遠い駐車場は第五駐車場で、会場から1kmぐらい離れています。何回も往復できる距離ではありません。
 天候は曇りで風が無く、ロードレースには絶好の状態でした。また、桜がもう咲いていて、とてもきれいでした。
 9時の開会式に先立ち「天竜太鼓」の演奏がありました。演奏者はほとんどが女性でしたが、太鼓の音は勇壮で腹に響き、気分がいいものです。
 今年の最高齢者は男性が87歳で5km部門、女性が70歳で21km部門に出場するそうです。二人とも非常に若く見えました。
 全参加者数は1,407人で、5km部門に出場する中学生がそのほとんどを占めています。私の出場する21km部門は、360人ぐらいだったと思います。
 レースは10時にスタートしました。会場を出てすぐにダムを渡り、南に走って橋を渡り、大会会場の横を通って北上します。ここからが長い道のりで、次の橋まで7〜8kmあります。橋を渡るとT字路になっていて、右へ行くと秋葉山の方へ行く道で、私たちは左に曲がり、今走ってきた川の反対岸を南下します。こっちの道は先ほどと違ってアップダウンがきつくなり、レースも後半で疲労が溜まってきているため、大変になります。
 私の場合、最近になって練習中にたびたび膝が痛くなるので、練習を控えていました。ですから今回は、レース中に痛くなったら困るという不安がありました。最後尾からスタートし、ウォーミングアップを兼ねてゆっくり行こうと決めてました。ところが心配した膝は痛くならず、左足の腿の付け根が早い時点で筋肉痛になり、違った箇所で参ってしまいました。終わりの5kmは足に力が入らず、バタバタするような走り方で、疲労困ぱいの中ゴールする結果となりました。タイムは1時間47分58秒で40代のなか76位でした。成績は年々下降するばかりで、残念です。
 結局、完走できてしまうと、げんきんなもので、今度はもう少し成績を上げることが出来たかもしれないと、反省することしきりです。しかし、あきらめていたハーフ出場を、次回に繋げることが出来てよかったと思います。
2003年02月20日
 お年玉つき年賀はがきの3等当選商品が届きました。いや、取りに行きました。本当は昨日の晩に郵便やさんが届けに来たようですが、届けに来た通知はがきを置いて帰ってしまったみたいです。それで今日、東郵便局まで取りに行きました。
    
 3等の商品は、ふるさと小包100種類の中からひとつをもらえるようになっています。100種類もあるとどれにしようか、決めるのもなかなか大変です。インターネットで調べて結局「たらばガニ」に決めました。
 ところで3等の当選確率は1万本に2本ですから、毎年100枚の年賀状が来るとして、50年間で一つ平均になります。今年は切手シートが5本当選していたから、結構、運がよかったです。
2003年02月19日
 仕事上の問題を解決したくて同僚や先輩・上司に聞く場合、当人がこれまで調査した結果から次に知りたいことを聞くことが多くあります。しかし、解決の方法が違っていたり、方向性を見誤っていたら、なかなかトラブルの解消が出来ません。
 今まで考え苦労してきた経緯もあることで、自分で解決したいという気持ちも判りますが、聞かれる方としてはまず意図は何なのかな?、という方向に思考を巡らします。つまり、聞かれた側の人は、自分の関係する仕事で何か問題が発生したのか、それともこれから問題となること、または、新たな課題が発生するのかということを気にする訳です。
 突然に脈絡の無いことを聞く前に、問題点を簡潔に話してくれたり、最後になっても簡単に付け加えて欲しいと思います。
2003年02月18日
 花粉症で私も症状が出始めました。夜中に目がかゆくてかゆくて、目が覚めてしまいます。日中も目の中に埃が入ったように痛かったり、涙目になったりで非常に不快な感じです。鼻については、朝に起きたときにかむティッシュに、薄く血が付きます。くしゃみは現在のところまだ少ないです。
 例年ですと私の花粉症は、みんなが終わった頃にひどくなるので、自分は「杉花粉」じゃなく「ひのき花粉」だと思っています。それで今年は、まだまだもっとひどい症状になる可能性があり、注意しなければなりません。
 とか何とか言いながら、今度の日曜日は「杉の里」と名が付く、「杉の里ロードレース」で21kmを走ろうとしているのだからバカだと思います。近頃はランニング中に膝が痛むようになり、今度のレースは完走できないかもしれないという不安があります。ランパン、ランシャツで回収車を待つようなことにでもなったら。どうしよう。寒くて寒くてたまらない。
2003年02月17日
 怪しいメールが来ました。文字化けしているのでシフトJISにしたら読めるようになったのですが、麻薬のような危険な薬品を扱っているサイトの紹介をしている気がします。
   
という文章ですが、どういう事でしょう。いまから覗いてみます。じゃぁ。
2003年02月09日
 いまの時季、彼岸花を観察すると「へえ、これが彼岸花の葉っぱかあ」と以前から何度も見ているはずなのに、初めて見る感動を味わえます。
 ただし、彼岸花の葉を知らない人に限ります。
 彼岸花は9月のお彼岸になると必ず咲く不思議な花です。この花が終わると葉が出て、冬の間に光合成で養分を球根に蓄え、春になると枯れてしまって夏の間は休眠してしまいます。周りの植物が枯れてライバルがいないときに、自分だけ青々とした葉を茂らせるという効率的な(変わった)生き方をしています。
 実はマイホームの庭に彼岸花が毎年咲くのですが、私も葉っぱのことは知りませんでした。葉はすずらん水仙のようで色が濃く、中央に薄く白い筋があり、たくさん生えていました。
2003年02月04日
 民主党の岡田幹事長が代表質問で17万人の個人破産者がいること、親の失業で17万人の授業料免除の学生がいること、年間3万人の自殺者がいることをあげました。  交通事故の死者が年間1万人位であるのに対し、自殺者がバブル以降、2万人から3万人にも増えているにもかかわらず、大きく問題視されないのは、自殺を隠す風潮があるからだと思います。
 自殺は悪いことだから、そのことを話題にするのはそれなりに悩んで死んだ人がかわいそうだし、家族にも気の毒だと思うからです。しかし、自殺を減らすためにはキリスト教のように自殺は神に対する冒涜だという考え方を浸透させなければだめだと思います。
 日本と比べて後進国や貧国に自殺が多いかというとそんなことはないのではないか、比較してみなければわかりませんが、世界的に上位にあるような気がします。
2003年01月23日
 昨晩、医院へいってきました。A型インフルエンザということでした。
 「今日は混んでて1時間半くらい後になりますから、それくらい後に来てもらえればいいですよ。」ということですが、寒気がするので「ここで待ちます。」と言って待つことにしました。結局、5時に受付し、会計を済ましたのが8時で実に3時間もかかりました。
 私が帰るときにまだ7〜8人の患者が残っていたので、最後の人は9時過ぎになります。先生も大変で、決して楽な仕事ではないと思います。
 インフルエンザの種類はA香港型、Aソ連型、B型があります。風邪のウイルスはライノウイルス、コロナウイルスなどでまったく違います。症状の違いは高熱、筋肉痛、悪寒など全身症状があり重症化するのがインフルエンザで、風邪の場合は喉の痛み、鼻水、くしゃみ、咳などで重症化することはめったにありません。とは言っても、初期症状でこれはただの風邪だから医者へ行かなくても大丈夫だろう、という判断は自分ではできないことがわかりました。
 医院でのインフルエンザの判定は綿棒を鼻の中に差し込み、粘膜を取って分析するようです。処方された薬に"シンメトレル錠"というA型インフルエンザに対する抗ウイルス剤がありました。20日月曜日の朝に風邪を引いたかなと思って、早めにパブロンを飲み、コルゲントローチを舐めてきたのに、重症になっていくばかりでした。インフルエンザはインフルエンザ用の薬でなければダメですね。
2003年01月21日
 咳をすると喉が切れるように痛く、体中のあっちこっちで筋肉にツーンとした痛み、そして、少しだるさ、寒さも感じる典型的な風邪の諸症状です。
 昨日の朝からで、その時はまだ症状が軽く風邪をひきそうだなぐらいの感じでした。それでも早めの・・・と思って薬を服用したのですが、悪化する一方です。
 昨日は風も無く春のような陽気になりました。自動車の車内に差し込む日差しは夏の太陽のよう暑さでした。
   こんなに天気がいい日はめったにない。
   ランニングしなければ後悔する。
   以前は、風邪でも平気だった。
   寒くない。
ということで、いろいろ理屈をつけてランニングしたのが風邪を悪化させたようです。
 QCもやらないといけないのですが、早く帰って医者へ行くべきだった。
 今日から運気が下降気味の私は、裏目裏目になるのはしかたがないです。
2003年01月19日
 親戚の人と、昼食を舞阪の「魚あら」で食べようと出かけたのですが、今日も駐車場が空いていませんでした。
 実は私の心中は「山本亭」、または「太助」のほうへ行ってみたいと思っていたので丁度よかったのです。
 「こんなに混んでたじゃ嫌だで他へ行こう」とサッサと「山本亭」へ向かいました。
 中村さんから聞いた場所がよくわからなくて、曲がり角を早めに曲がってしまい少しトラブルもありましたが、小雨のなか「山本亭」の玄関先に駐車できてラッキーでした。
 私が食べたのが、刺身定食の松で2、300円です。
 親戚の人は天丼で1、700円です。通常の天丼は1、000円のみですが、エビをグレードアップしてもらって、メニューに無い特別料理にしました。
 「山本亭」の場所は、東海道本線弁天島駅から北へ、線路を潜って橋を二つ渡ると十字路に案内看板があり、そこを左へ(西へ)曲がっていくとあります。駅から1km弱です。
 メニューは刺身、てんぷら、うなぎ、すっぽん、活魚料理など各種ありました。
2003年01月18日
 ランニングのスピードが上がらないのがわかりません。いくら一生懸命走ってもキロ5分で、自分で体感速度が決して遅いとは思えないのがまた不思議です。しかし、時計が狂うことは考えられず、すごい悩みになっています。
 走っていて思ったことは、フルタイド200かなということです。他に考えられることは加齢によることですが、去年のレースでは50分以下で走りきってきたので、こんなにも急激に衰えるとは思えません。熱海湯らっくすマラソンが不安になってきました。
2003年01月17日
 今日は新年会でした。コンピュータの12人は男ばかりだからコンパニオンを呼んで華やかな席に。ところが私と佐藤のカラオケ大会のような座になりました。佐藤が歌う曲は聴いたことがない、知らない曲ばかりで、年代の格差を感じます。私が若い頃にはそんなことを感じなかったけれど、私の先輩は同じことを感じていたのかも。
2003年01月12日
 今日のランニングは舗装路でなく芝の上です。天竜川河川敷で片道800m程度のところを1時間往復を繰り返しました。芝は着地の衝撃を吸収してくれるから、膝が痛いときなどに適しています。その代わり蹴った力も吸収される感じで、腿にかかる負担が大きくなります。
 45分くらい走ったところで話し掛けてきた人がいました。「この前速く走っていたけど、競歩ですか」何やら訳の判らんことを言ってきました。私の走り方はランニングしているように見えない?バカにしている?いや本当に変な走り方をしているかもしれない。「んん」と手を振って否定し「ジョグ ジョグ ジョギングだよ」と答えておきました。大きなショックを受けたと同時に、昨日の解答がここにある可能性もあると考えていますが、だからと言ってどうしたらいいのかわかりません。
 昼食は奮発して舞阪の「魚あら」で天丼の上です。エビが3つと白身魚、ナスが乗ってその上からタレが掛けてあります。それとアサリの味噌汁、酢で和えた生ノリ、お新香で一人二千円でした。天丼でもころもがパリッとしていて、美味しいタレで満足したお昼でした。営業時間は基本的に月曜休みで昼は11:30〜14:00まで、夜は16:30〜19:30までになっています。窓からは舞阪港と浜名湖大橋がダイナミックに見え、壁には有名人の色紙がずらりと並んでいました。
2003年01月11日
 正月休みの6日間は毎日欠かさず走ることができた上に、20kmを2日連続で完走できたことで非常に満足していました。その満足感は直ぐ自信に変わり、交通事故以来3年以上ハーフマラソンには出たことがなかったのですが、今回は杉の里ロードレースの21km部門にエントリーしてしまったくらいです。それで今日は久しぶりに腕時計を付けてタイムを計ってみました。
 最初の1kmは5分35秒で、まずは走り始めだからこんなもんだと思い。4km地点で20分20秒、少しスピードアップできたと思い。見たことの無いライバルがいて、私からみるとかなり速いので追いつかれたくないと力(リキ)が入ったのでした。しかしこのライバルとは1kmを二往復する間にかなり差を縮められてしまいました。6km地点で30分20秒。「ああ!なんだこれは!あんなに速く走ったのに(自分ではそう思っていた)」。結局10kmを50分22秒のタイムで、キロ5分ペースで走ったことになりました。風も無くいい天気で体調もよかったのに、なんででしょう?
2003年01月07日
 私はホームページNinjaを使ってホームページを作成しています。今回ホームページNinja2003が発売されたので早速ゲットしました。ところが使ってガッカリしたというより怒れてしまいました。
 ホームページNinja2003にはHYPERKiDSDが無い。代わりにとも言いたくないのですが、ホームページを作成するホームページNinjaに取り込まれた、「画像編集」というものになってしまったのです。
 これには“開く”,“名前を付けて保存”が無い。だから当然“新規”も無い。つまり、ホームページに取り込まれた画像を修正する以外は、何もできなくなってしまいました。レイヤなんて機能はどういうふうに活用するのかバカにしていると思います。本当に使いにくくなってしまいました。

大きなマイナス面は
・一つのソフトとして単独で画像編集ができなくなった
・事前(ホームページに取り込む前)に画像作成ができなくなった
・画像編集を起動するとホームページNinja2003は操作できない
・画像編集機能は二重起動ができない
・二つ以上の画像を合成できない

その他のマイナス面
・パソコンの能力(スペック)が低いとフリーズする可能性がある
・自分が作成したホームページを一度ホームページNinja2003に取り込むとホームページNinja2002に戻せない
・ホームページNinja2002とホームページNinja2003のソフトを両方インストールできない
・HYPERKiDSDだけインストールできない

 だいたいホームページに取り込んでからその画像を編集しなければならないなんて、手間ばかりかかってダメですよ。
 今回はホームページNinja本体でなく、画像編集ソフトが使えなくなってしまったということの不満です。
2003年01月05日
 もの凄い強風です。天竜川堤防をランニングしました。風に押され、戻され、足をすくわれ、顔をゆがめられてのランニングになりました。こんな日に走るバカは私ぐらいのものかと思ったら、もう一人いました。すれ違いざまに見合って頷きあった顔は、「ヨオ、がんばれよ」と言ってるようでした。

 強風を知らずに浮かぶ白い雲
 
 この強い風と裏腹に南に見える白い雲は、動きもせず日に当ってポカポカ暖かそうにふんわりと浮かんでいます。冷たい強風のなかを走る私には春うららの世界のように見えました。

 強風いくら吹いても見えぬ富士

 2日にはっきり見えた富士山が見えなくなってしまいました。
 雨上がりの風の強い日は富士山が見えるときがよくあります。2日のランニング開始時にはっきり見えた富士山が終了時にはもう薄くなってしまい、せっかくのシャッターチャンスを逃がしてしまったので、それが悔しくて昨日も今日もデジカメを持って天竜川へ見に行ったのですが、まったく見えませんでした。

 今日で正月休みが終わりです。何をやったかというと何もありません。しかし、毎日10km以上をランニングできたことは良かった。特に3日4日に20kmを2日連続で走破できたことでハーフマラソンへの参加が現実的になってきました。実はもうとっくに申し込んであるけれどね。
 勇太郎さんはトレーニングできたのかなあ・・・。
 「雪落としが忙しくって」とか、なんて言うかな?
2003年01月03日
 変な夢をみました。
 組織から狙われていて死ななければならない。その組織は漠然と自分が属する組織になっていて、その組織から爆薬でできた薬のようなものを飲めと進められるのですが、爆薬とわかっている私は爆発すると痛いから飲めません。
 場所はオフィスビルの防火扉で遮られた階段のようなところです。
 次にプラスチックでできた養命酒のお猪口に梅酒のような色の液体が出てきて、それを飲まなければならない。
 雰囲気的にもう一人いるようなんですが、この人も組織に属しているため、相談相手にならないし、相談するべきじゃないと感じました。
 組織とは人物が集まって作っているものでなく、この世的なものであって逆らったり攻撃する対象ではないのです。
 液体を飲むと何となく痺れたような感じがして、これなら口の中が爆発して痛くなるようなこともないと思うようになりながら、私は自殺を促されているのかと感じ、悲しみを感じ、ゆっくりと目が覚めてきました。4時過ぎでしたが、そのまま起きることにしました。
2003年01月02日
 昨日の穏やかな天気から一転、風の強い一日となりました。舗装されていない河川敷の道は、車も走っていないのに凄い砂煙が舞い上がります。しかし空気は澄み渡っています。なぜなら、天竜川の堤防から、白くなった富士山がくっきりと見えたからです。明日の天気は曇りから雨になる予報です。

 毎日が違って見える大自然
2003年01月01日
年頭所感
 新年にあたり、去年の反省をして何か自分自身に成果が残るように努力をしたいと思っています。去年はC言語をマスターしようと志を立てて勉強しましたが、志半ばで挫折してしまいました。本年も同じ志では、同じ轍を踏むかもわかりませんが、C言語はコンピュータ言語の基本であるから是非とも基本的なプログラミングだけでもできるようにしたいと思います。
2002年12月31日
 今日も10km走ることができました。29日から3日間で30kmです。正月の休みは26日から5日までだから、毎日全部走れたら80kmにもなります。「毎日走って80km走破するぞ!」なんて宣言すると雨が降るかもわからないから心配だけど、何が何でも走ってみます。
 あっ、もう紅白歌合戦が始まった。
2007年10月21日


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